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伊藤一成
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「電波で待ちぼうけ」
携帯電話を前に置いて、裕美子はじっと待っていた。
お洒落な曲線を描く樹脂で作られたそれは、裕美子の期待など無視して黙りこくり、ただ机の上に転がっている。
時たま裕美子は手にとって液晶の文字を眺めたり、意味もなくボタンを押したりした。裕美子の指の動きに合わせて「ピポパポ」と音はするものの、裕美子が待っている「プルルルッ」という音はいつまで経ってもならなかった。文字がライトで浮き出されては、しばらくするとまた沈んでいく。
別に電話が掛かってくる約束があるわけではない。だからこうして待っている方が変なのだが、裕美子はもう1時間もこうして携帯電話を眺めていた。
しかしそれは事情を知る者から見れば、実に女の子らしい期待だったのだ。
そう。今日、初めて雅樹に自分の携帯電話の番号を教えたのである。
雅樹とつき合いだして一ヶ月になる。その間、雅樹から一度も電話はかかってこなかった。いや、それどころか雅樹は電話番号すら尋ねようとはしなかったのだ。自宅も携帯電話も、である。
雅樹からのデートの誘いはいつも電子メールだった。二人の出合がパソコン通信だったので、それは自然といえば自然だったのだが、つき合いだしてからもそのまま、というのは裕美子にとっては物足りなかった。
恋人から携帯電話へ掛かってきた時に見せる、恥ずかしげだが自慢げな友達の様子を見るたびに、裕美子はうらやましくて仕方がなかった。
彼氏がいなよりはまし、とも自分を慰めてみても、さみしさを覚えるのは防ぎようがない。
雅樹も携帯電話は持っている。しかし使っているところは一度も見たことがない。雅樹の電話に掛かってきたのを見たこともない。そういえばパソコン通信には使ってるって言ってたっけ。もしかすると普段は電源を切っているのかも知れない。
他の女の子から掛かってくるのを恐れているのかしら。
ふと、そんなことを裕美子は考えてもみたが、それはありそうもなかった。男ばかりの職場の技術職、不器用で奥手そうな雅樹を見ていると、そんなふうにはとても見えない。
そんな雅樹だから裕美子に電話番号を聞こうとしないのだろう、と頭では分かっていても、もどかしくて仕方がない。それでとうとう今日、裕美子は自分から携帯電話の番号を教えたのだった。
遅刻するんだったら、今度から私の電話に掛けてよ!
たいしたこともない雅樹の遅刻に裕美子はわざと怒ってみせた。そして有無を言わさず自分の電話番号を雅樹の電話機に覚えさせたのだった。
雅樹と別れて家へ帰ると、裕美子は自分の部屋へ急いで戻り、携帯電話を机の上に置いた。そしてそれを眺めたまま一時間が過ぎたというわけだ。
もう。なんなのよ。
裕美子はパソコンの電源を入れると、電子メールを確認してみた。一通のメールが来ている。やはり雅樹だった。
数行のメールには、いつもの「お疲れさま」の言葉と次のデートの約束の確認だけが書かれていた。
裕美子は返事も出さずにパソコンを切った。
だって私が待ってるのは、メールじゃなくて電話なんだから。
いつもと違う重大そうなメールが雅樹から届いたのは、それからしばらくたった夜だった。
大切な話があるので会いたい、という内容だったが、メール越しにも何かあったらしいことが感じられた。
ふと裕美子は雅樹に電話を掛けようかと思ったが、すぐに考え直した。やはり最初は雅樹の方から掛けてきて欲しかったのだ。
翌日、会社が終わると裕美子は雅樹に会いに行った。
待ち合わせ場所に先に来ていた雅樹の表情はうつろだった。喫茶店で向かい合って座ると雅樹は口を開いた。
おれ、転勤することになったんだ。
え? どこか遠く?
うん…。田舎の工場。
いつから行くの?
来月から。向こうに行ったら毎日メール入れるよ。
そんな…。遠くに行くのなら、せめて声ぐらい聞かせてくれてもいいじゃない。裕美子はそう思ったが、黙ってポケットの中の携帯電話を握りしめただけだった。
雅樹が転勤先へ赴任するまでの間に、二人の仲が何か進展しないかと裕美子は期待していた。さすがに離ればなれになるのであれば、雅樹の態度にも何か変化があるだろう。
しかし雅樹は相変わらずだった。短い電子メールは頻繁に来るものの、裕美子の携帯電話が鳴ることは無かった。
あまりに待ちくたびれた裕美子は、わざと電話機の電源を切ってみたりもしてみた。今頃になって慌てて掛けてきても知らないから。
そう強がってみても長続きはしない。しばらく電話機を眺めただけで、慌ててまた電源を入れてしまう。
他の女の子達だったらどうするのかな? 友人達はこんな時どうしてるんだろう? 自分の方から積極的に掛けてしまうのかな? それとも他の男の子に乗り換えちゃうのかな?
男性とつき合った経験が乏しいのは裕美子とて同じだった。結局、何事も起こらぬまま、雅樹の出発の日がやってきた。
どんな恋人達でもするように、裕美子もその日は駅まで見送りに行った。
雅樹の性格からして、母親が見送りに来ているんじゃないか、と裕美子は思ったが、駅に現れたのは雅樹一人だった。裕美子が心配していたような不安げな様子もおどおどした様子もなく、雅樹は意外と平然としていた。
しかし雅樹の言葉は少なく、裕美子に二言三言しゃべるとまたしばらく黙り込んでしまう。裕美子もなんて言ったらいいのか分からない。
電話してね。
そう口から言葉が出かかるのを、裕美子は何度も飲み込んだ。
やがて列車の発車時間が来た。雅樹は列車のデッキに上がると振り返った。裕美子はホームに立ったままだった。そして発車のベルが響きわたった。
まるでよくあるドラマみたいだわ。ドアが閉まったら私はどうすればいいのかしら? 手を振りながら列車を追いかければいいの? それとも黙って涙をこらえて立っているのかしら?
ドアが閉まった。
列車がゆっくりと動き出した。しかし裕美子は動かなかった。涙も出てこなかった。じっとガラス越しの雅樹を見ていた。
遠ざかっていく雅樹が何かを取り出したのが見えた。突然、裕美子の携帯電話が鳴った。裕美子は慌てて電話機を取り出すとボタンを押した。
耳にあてた電話機から聞こえてきたのは、まぎれもなく雅樹の声だった。
裕美子は思わず目が潤むのを感じた。電話機を握りしめたまま、雅樹の言葉に何度も何度もうなずいた。そしてその言葉にならない仕草が、雅樹に耳に届いたのは間違いなかった。
Fin
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