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津和野・萩・秋吉台・山口ツーリング


========= ツーリングデータ ================
日時:
  1997年4月28日(月)〜5月1日(木)
アプローチ:
  JR山陽新幹線、山口線で輪行
コース:
  第1日目
    am 8:00 新大阪駅発「ひかり63号」〜am10:20 小郡駅着
    am10:30 小郡駅発「SLやまぐち号」〜pm12:30 津和野駅着
    pm 1:00 津和野市街散策開始
        〜殿町(養老館・津和野民俗資料館)〜津和野側沿い遊歩道
        〜祭資料館〜森鴎外旧居・記念館〜鷲原八幡宮・鷲原公園
        〜西周旧居〜高砂酒造資料館〜喜楽園〜太鼓谷稲荷神社
        〜津和野町立郷土館〜弥栄神社
    pm 6:00 国民宿舎「青野山荘」着
                        走行距離 17km
  第2日目
        am 8:00 国民宿舎「青野山荘」出発
               〜大鳥居〜国道9号〜徳佐〜古市〜生雲川沿い〜湯ノ瀬
                〜長門峡〜阿武川ダム
        pm12:00 萩市着・散策開始
               〜東萩駅〜萩反射炉〜明神池〜笠山〜風穴
                〜(萩市街へ折り返し)
               〜松陰神社(松下村塾・吉田松陰幽囚旧宅)〜伊藤博文旧宅
               〜旧湯川家屋敷〜桂太郎旧宅〜藍場川沿い
               〜萩城下町(高杉晋作生誕地・木戸孝允旧宅)
                〜問田益田氏旧宅土塀〜旧福原家萩屋敷門
        pm 5:00 国民宿舎「城苑」着
                            走行距離 60km
  第3日目
        am 8:00 国民宿舎「城苑」出発・萩市街散策
               〜旧厚狭毛利家萩屋敷長屋〜指月公園(萩城跡・志都岐山神社)
               〜萩史料館〜口羽家住宅〜鍵曲〜旧児玉家長屋門〜平安橋
               〜久坂玄瑞旧居跡〜鍵曲〜春日神社〜田中義一銅像
                〜旧毛利別邸表門〜旧周布家長屋門〜益田家老長屋〜常念寺
                〜藍場川沿い〜玉江橋
        am10:30 萩市出発
              〜国道191号〜国道490号〜学ヶ峠〜小野峠〜山中峠
        pm12:45 秋吉台サファリランド着
               〜昼食・サファリランド見学
        pm 4:00 秋吉台サファリランド出発
        pm 4:15 大正洞着
               〜大正洞見学
        pm 5:00 大正洞出発
               〜秋吉台道路
        pm 6:30 国民宿舎「秋吉台」着
                        走行距離 60km
  第4日目
        am 8:30 国民宿舎「秋吉台」出発
        am 8:45 秋吉洞着
               〜秋吉洞・秋吉台カルスト台地見学
        pm12:00 秋吉洞出発
               〜秋吉台山口自転車道
        pm 2:30 山口着・散策開始
               〜パークロード〜亀山公園〜県立山口博物館〜藩庁門
               〜香山公園(瑠璃光寺五重塔・露山堂・枕流亭)
        pm 5:00 湯田温泉・湯田簡易保険保養センター着
               〜温泉入浴
        pm 6:00 湯田温泉駅着
        pm 6:28 湯田温泉駅発 山口線各停列車〜pm 6:44 小郡駅着
        pm 7:26 小郡駅発「ひかり64号」
    pm 9:56 新大阪駅着
                        走行距離 50km

メンバー:
  伊藤一成(筆者)、須田君、大坪君
使用車種:
  マウンテンバイク
  スタンド、泥除け、前照灯、尾灯装着
荷物:
  ディパックにて携帯
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★★★ 第1日目  雨は降る降る、あいつは来ない ★★★


■恒例のごとく

 雨であった。しかも朝から。
 いつもなら天王寺駅まで自走するのであるが、ちょっと考え込んでしまった。天王寺駅までの2キロの間にかなり濡れるであろう。そうすると結構な混雑が予想される環状線には乗りにくい。これはとうとう地下鉄輪行の時が来たか。
 私は今まで地下鉄で輪行したことがない。慢性的に客が多いためと、手回り品切符がいらないので、つい卑屈になってしまいそうだからだ。しかしそうも言っていられない。ちょっと小降りになった時に、最寄りの天下茶屋駅まで走っていく。歩いても2分ほどの距離だ。自転車ならあっと言う間である。
 地下鉄の天下茶屋駅は改札が地上にある。改札の前で輪行袋に詰めると、切符を買って自動改札をすり抜けた。ちょうど発車しそうだった堺筋線に乗り込み、動物園前駅で御堂筋線に乗り換える。朝が早いためか、思ったより空いていたのが幸いだった。
 新大阪駅で降りると新幹線の改札へあがる。切符は座先指定と共にあらかじめ買ってあった。しかし手回り品切符を買わないといけない。いつもは天王寺駅で買っているので、新大阪では勝手が分からない。とりあえず改札の横の窓口へと行った。しかしそこではおいてなくて精算窓口で買ってくれと言われてしまった。
 先に改札に入り、横の精算窓口へと回る。しかし、そこの窓口は開いていなかった。輪行袋を下げたままトボトボと歩き、別の精算窓口へとたどり着いた。しかしなんと、そこもおいていなかった! 結局、在来線連絡改札の窓口までやってきた。しかしあろうことかそこも閉まっていた! もうやけくそになって新幹線の中で車掌から買うことにして、ホームへ上がった。

■いつものように

 ホームには待ち合わせのはずの須田くんも大坪君もいなかった。まだ時間が早いので慌てる必要はないが、大坪君は遅刻常習者である。何が困るかというと、彼は遅刻すると言うことになんら罪悪感をもってなさそうなことである。いや、本人は胸の内で悪いと思っているのかも知れないが、はたから見るとそうは見えないのである。なぜそう見えないかは、遅れて現れたあとの彼の行動に起因するのだが、それはおいおい分かると思う。
 さて、ちょっと不安になった私は大坪君の家に電話をかけた。2回のコールのあと、留守番電話になった。どうやらもう家は出ているらしい。ちょっと安心した。本当は家からモーニングコールを掛けようかと思ったのだが、雨のせいでバタバタして掛ける暇がなかったのだ。そして地下鉄で来たので携帯電話を使うことも出来なかった。
 おやつや飲み物を買ったりしていると須田くんが現れた。去年のゴールデンウィークの倉敷・尾道ツーリングでは遅刻すれすれであったが、それ以後は余裕を持って登場している。
 残るは問題児だけだな、と思っていると携帯電話が鳴った。慌てて取ると、やはり大坪君であった。丁度ホームに列車が入ってきたところで音がうるさくて聞き取れない。よくよく聞くとなにやら謝っているようである。
 今、大阪駅あたりかな、と思いながら、「どうした?」と聞くと「今、起きたところです」との答え。「……、え?」予想外の言葉に私は呆然となった。そう、彼は留守番電話をセットして寝ていたのである!!
 どうやらさっきの私の電話のベルで目が覚めたらしいが、起きられずに再び布団に潜り、やっと今、電話を掛けたと言うことらしい。彼にはモーニングコールも無意味だと言うことが、これで分かってしまった。留守番電話にモーニングコールを録音しても仕方がないだろう。
 先に行って下さい、ということなので迷わず先に行くことにする。いや、彼が待っててください、と言っても先に行っていただろう。「じゃ、小郡についたら電話するように」とだけ言って電話を切り、私と須田君は「ひかり」に乗り込んだ。せっかく「ひかり」も「やまぐち号」も座席指定を取っていたのに…。

■SLやまぐち号

 小郡駅での乗り換え時間は10分しかなかった。
 しかも新幹線ホームから在来線のホームは遠いのだ。連絡橋をえんえんと歩かないといけない。輪行袋を持っているのだから大変である。
 やっとこさ「やまぐち号」のホームへやってきた。しかし私は何を勘違いしたのか自分たちの車両を間違え、一度先頭近くまで行ったあとそのことに気づき、再び最後尾車両まで戻らねばならなかった。
 客車に乗り込むと、とりあえずデッキに輪行袋を置き、自分の座席にディパックを置く。再びデッキにとって返し、輪行袋の本当の置き場所を考えた。
 デッキは狭かった。どう置いても通行を邪魔してしまう。大井川鉄道のSLの時は乗務員室そばの空きスペースに置かせてもらえたので、今回もそれがないかと前に輪行袋を置きに行った須田君の様子を見に行った。そうこうしている間に列車は発車してしまった。
 案の定、須田くんは輪行袋を車掌室の前の空きスペースに置かせてもらっていた。私もとって返し、ここへと運ぶ。
 忙しい乗り換えと輪行袋の置き場所確保のドタバタで、二人とも大汗をかいている。ボックス席に座ったものの暑い。私たちの車両は最後尾でデッキ付きである。デッキに出れば涼しいのではないかと後ろへ向かった。
 しかしデッキへの扉は鍵がかかっており、外へは出ることが出来なかった。デッキの手前が元々サロンだったのか座席のない小部屋になっている。そこには毛利氏、特に毛利元就の資料がべたべたと貼ってあった。やはり時代は毛利元就らしい。
 さて、このやまぐち号が津和野に着くのは昼過ぎである。車内で弁当でも食べておくのが時間的にありがたい。しかし小郡駅では弁当を買っている時間などなかった。車内販売をあてにしていたのだが、どうやら私たちがバタバタしている間に売り切れてしまったらしい。
 やがて列車は山口市街へと入っていった。大きな町である。こんなところをSLが走ってすすけたりしないのだろうか。
 山口駅で駅弁を売りに来るのではないかと須田君は期待していたが、やはり駅弁売りは来なかった。彼はあまり列車で旅行しないので知らないのかもしれないが、私はここ10年ほどホームを歩く駅弁売りなど見たことがない。とにかく仕方がないので津和野に着いてから食べることに腹を決めた。グー。
 窓から外を見ていると、あちこちでカメラを構えている人がいる。もちろん私たちを撮っているのではなくSLを撮っているのである。大井川鉄道と比べて田畑の中の見通しのよい所が多いので、撮影はしやすいようだ。
 だんだんと列車は郊外へと出ていく。列車の中で写真を撮ったり、ダベったりしていると、列車が止まった。どうやら写真タイムらしい。わざわざ写真撮影のために駅の一つで列車を停めてくれるのだ。
 まだ細かい雨が降っているが、私たちも降りると写真を取り始めた。乗ったときは急いでいて機関車は見ている時間がなかったので、初めて自分たちが乗っている列車の機関車を見ることが出来た。
 再び列車は動き出した。長めのトンネルを抜けると右前方に津和野の町が見えてきた。

■津和野到着

 時刻表通り列車は津和野駅に着いた。他の客が降りるのを待ってから輪行袋を引っぱり出し、列車を降りる。
 やはり機関車の前では大勢の人が眺めたり写真を撮ったりしていた。私たちも混じって写真を撮る。OL風の若い女性が前に立って写真を撮っているとき、発車の放送がかかった。大きな汽笛の音と共にやまぐち号は発車した。私も慌ててシャッターを切った。
 列車がホームを出ていくのを見送ると、私たちも輪行袋を抱えて陸橋を渡る。
 改札を抜けると自転車を組み立てる場所を探した。まだ雨が降っており、地面が濡れている。駅舎の軒下で組み立てることにした。
 自転車を組み立てている間にも、雨は小降りになったり強く降ったりを繰り返した。天気予報では昼から晴れるということだったが、1時近くになった今でもまだ雨は上がらない。山あいの小京都は曇天の中に薄暗く沈んでいた。
 組立終えると小雨の中を出発することにした。スピードを出すと後ろからハネを浴びるのでトロトロのスピードである。とりあえず行き先は昔の建物が残っているという殿町通りだ。そして昼食を食べる場所も探さないといけない。
 殿町にはすぐに着いた。道の両側の堀割にはようようと水が流れ、いつもならいい雰囲気なのであろうが、運悪く雨のために水はすっかり濁っていた。鯉が濁り水の中を泳いでいる。しょうぶが咲くにもまだ時期が早い。
 さすがにここは観光客が大勢いる。バスガイドに連れられた観光客がぞろぞろと歩いている。私たちは養老館に入ることにした。自転車は門内にお止め下さい、とのことなので、それに従い止める。
 養老館はかつての藩校である。その藩校の剣術道場が民俗資料館になっている。入場料を払って入ってみた。津和野にまつわる民具や武具が主な展示物であった。

■誰がためにベルは鳴る

 養老館を出ると津和野大橋を渡り、津和野側沿いの遊歩道にそって走り出した。川の両岸とも遊歩道らしいがとりあえず左岸を行く。この遊歩道は誰も歩いておらず静かだった。雨もやっと止んだ。
 森鴎外旧宅の矢印に従って左へ曲がると、すぐにそれがあった。前を様子を見ながら通り過ぎる。先に食事にしたかったからだ。次の通りの角に土産物屋兼食堂があった。そこで食事することに決め、前にあった駐輪場に止めた。
 私は天とじうどん定食、須田君は南蛮とじうどん定食をたのんだ。運ばれてくるのを待っている間、ガラス越しに通りを眺める。この辺りはそんなに離れている訳ではないのに観光客は少なかった。たまにレンタサイクルに乗った人が通る。
 食事を終えるとちょっとだけ土産物を眺めたあと、その建物の2階にある祭資料館に入った。鷺舞の衣装を着た人形をはじめとして、津和野の祭りに関しての資料が展示してあった。
 そこを出ると森鴎外旧居に向かう。門の向かいに立っていたおじさんから券を買って入った。100円と引き替えにカードになった入場券をくれた。
 森鴎外は子供の頃ここに住み、そして育ったという。質素な平屋である。さすがに中は観光客もいて、記念写真を撮る人が多かった。
 裏の門から出ると、最近出来たという森鴎外記念館である。私はせっかくだから入りたかったのだが、文学には興味のない須田君は500円という入場料に渋った表情だ。しかしなんとか説得できた。旧居の入場券を買っていれば100円引きあったことが利いたのかも知れない。
 森鴎外は医者でもあり文学者でもある。この出来て間もないおしゃれな建物の中には、彼の生涯をたどることが出来る展示が豊富にある。昔の文学誌や自筆の原稿、そして年表や系図などで見やすく展示されていた。星新一もどうやら親戚にあたるらしい。一人で見学している女性もいた。
 小部屋でビデオを見ていると、携帯電話がなった。大坪君からであった。やっと小郡に着いたらしい。しかし時間はもう午後3時だ。彼はのんびり昼になってから出かけてきたのに違いない。こちらに着くのは5時になるろう。津和野についたらもう一度電話をするように言うと電話を切った。

■西周って誰?

 森鴎外記念館を出ると、再び自転車を引っぱり出した。さっき記念館に一人でいた女性も自転車で回っているらしく、もたもたしている私たちを尻目にさっさと自転車に乗ると行ってしまった。どうやら津和野には詳しい人らしい。
 私たちは再び津和野側沿いに戻り、細い橋を渡った。ちょうど向こうから団体の観光客が渡ってきたところで、すれ違いに苦労する。
 いけるところまで川沿いの遊歩道を行った。一応目的地は津和野市街の一番端にある鷲原八幡宮である。流鏑馬馬場があるのだが、誰も人はおらずひっそりとしていた。自転車でガタガタと走ったあと、再び市街地へ戻ることにした。
 行きは気づかなかったのだが、川沿いに「間欠泉」と書いた看板があった。何十分かおきに水だかお湯だかが吹き出すらしい。しかし今は静かだった。観光ガイドを調べたが載っていなかった。時間が惜しかったので、ここでわざわざ待って見るほどのものか判断できなかったので、先に進むことにする。のちに入った情報によれば結構立派に吹き上げるらしい。
 次は西周の旧居である。「さいしゅう」というお坊さんではない。「にしあまね」である。哲学者だ。そういえばそんな人がいたな、と遙か昔の高校の日本史の授業を思い出した。
 なんてことはない、その西周の旧居はさっきの森鴎外の旧居から川を挟んですぐのところにあった。さっき橋ですれ違った団体はこちらを見てから鴎外旧居の方へ回ってきたのだろう。
 しかし森鴎外旧居に比べて西周旧居の保存は悪かった。入場料をとって、もう少し保存に力を入れた方がいいと思うのだが…。
 時間がひっぱくしてきたので次へ進む。次は高砂酒造資料館である。長い歴史をもつ酒造元に併設された資料館だ。さっきの細い橋を渡り、森鴎外旧居の前を通り抜けると坂を登っていく。やがて左手に一見して造り酒屋と分かる立派な建物が見えてきた。駐車場の片隅に駐輪させてもらい、のれんをくぐる。
 どうやら見学者にはそこのお酒を飲ませてくれるらしい。すぐにお持ちしますのでご見学下さい、とのことなので、入って見学した。
 私はまずその建物の立派さに見入ってしまった。もとは酒蔵だったのかどうか私には判断できなかったが、天井の高い梁の立派な建物であった。そのなかに酒造のための壺や樽やその他の道具が展示されているのである。
 一通り見学して出てくると、お猪口が2つ用意されていた。一つは清酒で一つは濁り酒であった。濁り酒の方は私にはきつすぎた。須田君に任せ、清酒の方を少しいただいた。酒の味はよく分からないが、普通の酒とは違うことだけは分かった。須田君はいたく気に入り、今晩の宿用にと一本買い求めた。しかし一番喜ぶのは遅刻してまだ現れない大坪君であろう。彼は大変な飲兵衛でもあるのだ。
 お礼を述べるとのれんをくぐって外へ出た。

■遅刻男は2度ベルを鳴らす

 またもや森鴎外旧居の前を横切り、例の橋を渡る。次は嘉楽園だ。その名前からくるイメージと、庭園跡だと言うことで期待していたのだが、行ってみると草の生えたただの空き地となっていた。脇には一応物見櫓があり、そばをぐるっと回って眺めてみた。
 須田君が稲荷神社へ行くというので、そちらへ向かう。結構きつい坂を登ると観光リフトの乗り場にでた。やり過ごしさらに坂を登る。やっとこさ太鼓谷稲荷神社の駐車場に着いた。駐車場は見晴らしのよいところにあり、そこからは津和野の町が一望のもとに見渡せた。
 正面に標高900mを越える青野山が堂々とそびえ、眼下には茶色い屋根を連ねた家々がならぶ。やっと雲が切れて太陽の光が射してきた。陽の光を受けた津和野の町は、さっきまでの沈んだ雰囲気を一気に吹き飛ばし、どこか牧歌的な明るさを感じさせてきた
 自転車を駐車場の脇に止めると、おいなりさんをお参りする。本当は稲荷神社というからには、下から鳥居のトンネルを登ってくるのが正道である。私たちの登ってきた道は車用の道であった。
 時間は4時半近い。あと一つ、郷土館を回るつもりであった。急いで坂を下ると郷土館へ向かう。それは川を挟んで養老館の向かいにあった。閉館ぎりぎりに滑り込みで見学することが出来た。この郷土館は藩政時代の資料はもちろん、縄文時代の資料も集めて展示されていた。私たちが見学し終わるまで閉館を待っているようなので、急いで見て回ると外へ出た。
 自転車にまたがると津和野大橋を渡り、今度は養老館の裏の川沿いを走ってみた。行き止まりで曲がり、ふたたび殿町へ戻る。天気がよくなった上、人もまばらになったので、さっきよりよい雰囲気になっている。堀割のそばで写真を撮ってみた
 そろそろ大坪君が到着する頃だが、まだ電話がないので、もうちょっとブラブラしようかと走り始めたとき、携帯電話がなった。慌てて取り出すが、ベルはたったの2度で切れてしまった。またかかってくるかとしばらく待ってみたが、うんともすんとも言わない。あきらめて走り出した。
 弥栄神社のそばを走り、津和野側沿いにあったベンチで一服することにした。地元の高校生がクラブ活動のトレーニングの途中なのだろう、ランニングしながら私たちに挨拶すろと、稲荷神社の鳥居のトンネルを登っていった。
 しばらくそこにいたが、大坪君から何の連絡もないので、津和野駅に行ってみることにした。古い町の雰囲気を味合うためにわざと裏通りを通って駅へ向かう。
 駅にはやはり大坪君はいなかった。まだ着いてないのだろうか。私は駅に入り、時刻表を調べてみた。5時頃には特急が1本あるだけで、各停は6時頃までなかった。その一本前の列車には小郡に3時では間に合わないはずだ。彼が特急料金を払って特急に乗るとは考えがたいので、6時の各停で来るのだろうと判断した。もう一つ、恐るべき推測も立ったが、あえてそれは考えないことにした。
 列車の時間が分かったので、先に宿の団らん用のおつまみを仕入れることにした。さっきコンビニを見つけていたので、そこへ向かう。コンビニの前で自転車を止めていると携帯電話がなった。しかしまた呼び出し音が2回で鳴り止んでしまった。
 手に携帯電話を握りしめたまま待っていると、またかかってきた。何度も切られてはたまらない。今度はすかさず応答する。相手はもちろん大坪君であった。しかし列車が津和野に着くには早い時間である。どうしたのか。
 しかし彼の言葉は、内心、予想していた通りだった。なんとすでに宿に入っているのである。そう。この電話は宿から掛けているのだ。あのやろう、津和野駅から電話しろ、と言ってあったのに…。彼を待ってウロウロしていた私たちはバカを見たわけである。前に松江にツーリングしたときも一人行方不明になり、勝手に宿に入っていたことがあるのだ。しかもお金も持たずに。毎度毎度やってくれる。
 須田君も当然そのことは予想していたので、やっぱりな、と言い合いながら、コンビニに入った。彼の分のおつまみは無しにしようかな、と他愛ないお仕置きが私の頭の中をよぎった。

■国民宿舎「青野山荘」

 今晩の宿、青野山荘は津和野市街から国道9号に向けて坂を登った途中にある。結構きつく長い坂だ。
 青野山荘の前まで来ると大坪君のMTBがおいてあるのが見つかった。私たちも一緒にそこに止めて鍵を掛ける。
 実は私と須田君はもう一つ、おそろしい予想を立てていた。私たちの心配をよそに、彼はのんびり先に風呂に入ってくつろいでいるのではないか、ということだ。
 しかしその予想は的中してしまった。私たちがロビーにはいると、浴衣に着替えてほどよく湯気をあげた大坪君が、ちょうど階段を下りてきたのだ! 私と須田君はあいた口がふさがらなかった。
 フロントで鍵を受け取ると部屋へ入る。大坪君はすっかり先にくつろいでいたようだ。家からここまでのことを聞くと、案の定、朝、私に電話してからもう一度寝床に戻り、昼前に出てきたらしい。小郡まで来ると列車が少なかったので、特急に乗ったという。特急を使ったことだけははずれたが、それ以外の私の悪い予想は全て当たったわけである。
 なぜ電話を2回のコールで切ったのか尋ねたら、後ろで女子高生が待っていたからだそうである。しかしいくらなんでも2回の呼び出し音ではこちらが出られるはずがないことぐらいは分かるはずだが…。彼の思考回路はまったくのなぞである。実は彼は女子高生に弱いのかもしれない。
 とくにかく私と須田君も風呂に入ることにした。風呂の湯は熱かった。我慢して何とか入り、あがると食事だ。
 ビールを飲みながら食事を終えると、部屋へ戻ってやっと一服である。私たちの部屋は3階であり、津和野の町の方を向いていたが、展望はなかった。
 さて、さっき須田君が買ってくれたお酒を飲むことにする。やはり飲兵衛の大坪君にはこたえられないようだ。もちろん、まずい酒でも彼が飲まないことはないのだが。



★★★ 第2日目  藩政から維新へ ★★★


■朝から空中一回転

 恒例のごとく、朝、宿のまえで記念写真を撮った
 この国民宿舎の前には蒸気機関車のD51が置いてあり、須田君と大坪君は機関車の運転台に登っては写真を撮っていた
 いつも宿を出るのが8時半すぎになってしまうので、今回は8時に出発する、と事前に申し渡しておいた。時間に余裕をもって行動したかったからだ。おかげで何とか8時にはチェックアウトした。しかし写真を撮ったりしたので、出発したのは結局、随分たってからだった。今日はなるだけ早く萩まで移動し、あとは萩市内を散策するつもりだった。
 道をいったん下り、津和野から国道9号へ上がる道に合流する。ここから国道まで登り返すのであるが結構きつい。国道との合流点に日本で3番目の大きさだという大鳥居がある。これは津和野の市街からでもよく見えていたが、本当に大きい。ビルのような高さである。
 国道9号は野坂トンネルまで登りが続く。傾斜としてはきつくはないのだが、朝一番の上に、ここしばらく身体がなまっているので応えた。
 トンネルを抜けると緩く下っていく。だんだんと視界が開け右手には田んぼが広がってきた。
 左手に土産物屋があり、まえに自動販売機があったので補給のために止まった。ボトルにスポーツドリンクを詰める。土産物屋の前でしぼりたてのリンゴジュースを売っているのを須田君がめざとく見つけた。私も一緒に買ったが、これはおいしかった。
 出発したときは少なかったのだが、だんだんと車が増えてきた。国道から道をはずしたいな、と思いながら地図を眺める。徳佐の駅前の町をすぎたところで、山口線の線路を渡り向こうの道へ出ることにした。昨日、列車の窓から見えていた道で、車も少なく走りやすそうだった。
 リンゴジュースを飲み干すと走り出す。結構トラックが通るので、歩道に上がったり車道に降りたりを繰り返す。左に鳥居があり、「徳佐八幡宮」と書いてあるのが見えた。「そういえば観光ガイドに載っていたな」と思いながらボーッと考えたのがまずかった。
 ふと気づくと前に歩道と車道の境の縁石があった。慌ててブレーキを掛けたが間に合わず正面からぶつかり、自転車は見事に前転した。幸いほとんど止まりかけだったので、前にどさりと落ちるだけですんだ。
 膝と右手の指を少し傷つけ血が出ていたが、それだけで大したことはなかった。自転車の方もなんともなかったが、180度回ったハンドルにボトルケージが殴られ、ポッキリと折れていた。私のcannondale SUPER-Vはトップチューブがなくてボトルケージが露出した形状なので、ことがあるとすぐにケージが折れてしまう。折れたのはこれで3つ目である。
 気を取り直し出発する。予定通り徳佐の先の交差点で右へ曲がる。山口線を立体交差で越えると次の角を左へ曲がった。

■リンゴ畑から渓谷へ

 綺麗な舗装の走りやすい道だった。ただ細かいアップダウンが何度も繰り返すので、思ったより疲れる。川と山口線を挟んで国道9号と平行して走ってるのだが、左の向こうに見える国道には車が結構走っており、それに比べれば快適だ。
 やがて両側にリンゴ畑が見えるようになった。この辺りはリンゴが出来る南限だそうだ。リンゴ狩りの看板も見える。今はまだやっていない。このリンゴ畑はSLの中からも見えた。
 三谷の駅の手前で右へ曲がる。途中でまたいだ山口線を踏み切りで再び渡り、緩い坂を登っていく。2車線ある広い道だが、交通量は少ない。一応低くて緩い峠越えである。エッサエッサと走っていると、大坪君が徐々に遅れだした。
 やがて下りになり、快調に飛ばしていくと、結構大きな町へ出た。右手に公民館らしき建物が見える。いったん止まり地図で現在位置と分岐を確認する。次の交差点で左に曲がればいいらしい。
 私が地図を見ている間に、大坪君は向かいの公民館にトイレを借りに行った。ジュースの自動販売機も中にあるらしい。須田君に続き私もそこへトイレを借りにいった。新しい立派な建物で、しかもこれは分所らしい。
 出発し、さっき確認した交差点で左に曲がる。左が川の広い綺麗な道だ。しかし交通量はまったくない。やがて右に分岐が現れた。直進は細い道だが、右が広い道であたらしい標識に「萩・長門峡」と書いてある。もちろん右だ。
 しかし後ろを見ると大坪君がいなかった。いつの間にかちぎれたらしい。フラットな道でちぎれるとは珍しい。予想以上に長い時間待つとやっと現れた。
 右に曲がってしばらく行くと、いきなり幅員が狭くなった。さっきまでの広い綺麗な道が嘘のようである。傾斜もきつくなりもくもくと登る。次の分岐を右に曲がると峠はもうすぐだ。
 ピークを越えると一気に急な下りになった。カーブもきつい。対向車がくると避け場がないので慎重に下っていく。すぐに橋を越えて2車線の道に合流した。これを左へ行くと、景勝地、長門峡である。地図には一応右の渓谷も長門峡と書いてある。
 萩は右なのでそちらへまがり、川沿いの道を下っていく。やはりみごとな渓谷である。橋を渡り右岸へ出ると川幅が広くなった。阿武川ダムのダム湖の端なのだ。対岸に巨大な岩が見える。ちょっと止まり写真を撮った。
 再び橋を渡り左岸に出る。ダム湖沿いをトンネルや橋を交えながら走り、阿武川ダムへとたどり着いた。ダムの下を覗き込みながら休憩をとることにした。

■綺麗なお兄さんは好きですか?

 そのダムはかなりの高さだった。ダムの中腹というか真ん中あたりに監視所らしきものがあるのだが、はたしてどうやってあそこに降りるのだろう。どうやらダムの中を通って降りるようだが、須田君はダムの中が空洞とは信じられないらしい。
 大坪君は黙ってうろうろと見て回ってたが、その大坪君を見て私はふとあることに気が付いた。彼の足が綺麗なのである。そっと後ろから近づいて見てみると、どうやら脱毛しているらしい。
 驚いて詰問してみると、この間、一緒に飲んだ帰りにコンビニに寄り、酒の勢いで脱毛クリームを買ったという。そして好奇心半分にやってみたのだそうだ。ちなみに私のチームには、足を脱毛している者も剃っている者もいない。理由は別にないのだが、ロードならともかく、マウンテンバイク専門ならばそんなものだろうと思っていた。
 大坪君も脱毛はもうしないと言う。今ちょっとのびかかったところでチクチクして気持ち悪いらしい。ただ私としては、足を脱毛するより、ひげを毎日剃って欲しいと思った。足は綺麗なのに、しょぼしょぼとひげがのびているのは変であった。

■萩到着

 さて、萩まではもう一息だ。自転車にまたがるとダムから下へと下っていく。
 家も増えてきて、交通量も徐々に増えてきそうだ。地図で確認し、途中で対岸へ渡った。こちらの方が道は狭いが、静かな道だ。
 一度道幅が広くなったが再び狭くなった。自転車対自動車でもすれ違い困難なところもある。
 左は依然川だが、右はやがて住宅地になった。JR山陰線の下をくぐる。後ろを見るとまたもや大坪君がちぎれていた。ちょっとハンガーノック気味らしい。時間も丁度正午で私もおなかが減ってきた。もう萩市街に入るのでどこかで食べるところを探そうと思った。
 しかしいつもながらこの昼食が問題となる。その原因はほかでもない須田君だ。彼の眼鏡にかなうお店はなかなか見つからないのだ。やっと食堂があっても「えーっ、いや」と、女子大生みたいなことを言うのである。小綺麗で安くないといけないので始末に悪い。そのくせ、天一(ラーメン屋)には入ったりするのだから、よく分からない。単なる食わず嫌いであろう。いずれにしても、今回も苦労しそうだ。
 実は須田君は持参した「マップル情報版」で、東萩駅の近くに地ビールの店があるのを見つけていた。そこへ行きたいのであるが、食べ物はあまりない店のようだ。それに飲んでは走れなくなる。
 とにかく東萩駅へ行くことにした。萩リバーサイドホテルというのがあったので、それを目印に地図で現在地を確認する。なんとすぐそこが駅であった。
 道路を渡ると駅前に出る。前にあった地図板を眺める。今夜の宿は萩市街の西の端にあるので、西半分は明日にまわし、今日は東半分と市街地から離れたところにある笠山を回ろうと考えていた。須田君は観光案内所へ入ると地図をもらってきた。
 隣には土産物屋がある。「萩焼」と書いた幟が出ている。大坪君がそれを見て、「甘そうですね」と言った。腹が減っているためか、ふと食べ物と思ったらしい。しかしすぐに焼き物であることを思い出したようだ。
 その大坪君がどこかに消えたと思ったら、土産物屋で夏みかんのお菓子を買ってきた。夏みかんを乾燥させて砂糖をまぶしてあるらしい。どうやらこれで腹の足しにするようだ。私と須田君も少し分けてもらった。

■反射炉と明神定食

 さて、昼飯である。この辺りは駅前でにぎやかなのでレストランくらいはありそうだ。しかしやはり須田君は首を縦に振らない。問題の地ビール屋は駅前のビルの中にあるようだが、ここはあきらめることにする。
 ところが地ビールの店の紹介がもう一件載っていたのだ。それは萩市街から海岸沿いを北東に行った笠山までの途中にある。問題なのは、まだ準備中で5月に開店らしい。今日は4月29日。まだやっていないだろう。
 しかしあきらめきれないのか、どうせ笠山へ行くのであるから途中で様子を見よう、ということになった。
 笠山とは東萩駅から5キロほど北東の海岸にある日本一小さい死火山である。萩とはあまり関係がないが、ちょっと見ておこうと思っていた。それに途中には反射炉もあった。
 車通りの多い道を走っていくと、すぐに反射炉についた。これは寛政年間に作られた兵器用の洋式溶鉱炉である。残っているのは耐火煉瓦で作られた炉と煙突であった。しかし私にはなんとなくインカか東南アジアの遺跡に見えた。
 それにしても腹が減った。再び自転車に乗り、笠山をめざす。途中、左手に作りかけのおしゃれな建物があった。どうやらこれが地ビールの店らしい。営業開始は5月末だ。あきらめて笠山へ向かう。
 笠山のふもとの明神池に着いた。道の右が池で、左に土産物屋があった。前でサザエの壺焼きやらイカの焼いたのやらを売っており、いいにおいが漂ってくる。食事も出来るようだが、とても須田君の気に入りそうな雰囲気ではない。先に進むことにする。
 道はきつい登りになり、食事が出来る店がありそうな雰囲気でなくなってきた。道の脇には「名物・明神定食」と書いた広告がでている。さっきの池の前の店のことらしい。値段がいくらするかな、と二人に聞いたら、めざとく店の前にかかっていた札を見ていたらしく、1500円だと須田君が言った。
 これ以上、先に行っても食べられそうにないので引き返してここ食べることにするか、と私は決断した。案の定、須田君は「えーっ」と言い出した。大坪君も1500円はちょっとつらいらしい。私もつらいが、背に腹は代えられないどころか、今にもくっつきそうである。
 坂を下り明神池のそばへ戻ると駐輪する。まだ嫌そうにしている須田君を後ろに、私は中へ入っていった。奥に少しテーブルがあったが2階も食堂のようなので階段を上がる。
 階段を上がると、なんと2階は内装も新しい綺麗な座敷であった。窓際の席に陣取る。予想外の綺麗さに須田君は口をつぐみおとなしくなった。
 メニューを広げると明神定食の他にもいろいろとある。私たちは1200円の磯定食というのを頼んだ。さざえ飯につくりなどがついた豪勢な定食だ。今回は宿が安い国民宿舎ばかりだったので晩御飯はあまり期待できない。それを考えるとこの昼食は今回もっとも贅沢な食事になるかも知れない。

■笠池と風穴

 磯定食はおいしかった。須田君もとりあえず満足したようだ。大坪君は飲めなかったのが残念そうだが、食事には満足したらしい。
 食事が終わると明神池のそばで一服した後、笠山へ向かって出発した。池の奥に風穴があって名所らしいが、後で時間があれば寄ることにして、先に山頂を目指す。
 萩観光ホテルの前を通り、登りが続く。右に食事もできる売店があった。案の定、須田君が「うわあ」と言った。せっかく満足していたのに、安く上がった可能性があったと分かるとすぐに後悔するらしい。
 登りがきついので、須田君に構わず登り続ける。ツバキ群生林、と書いた分岐を見送り、山腹を巻いて登り続ける。
 やっと登り切った。山頂は公園のようになっており、展望台がある。その横に火口跡へ降りる階段があった。駐輪すると、大坪君はさっさと展望台を登っていった。私と須田君は火口跡へ降りる。
 階段は山頂のくぼみへと降りていく。降りきった所に金網があり、その奥火口そのものらしい。もう噴火することはないと分かっていても、覗き込むのはちょっと気持ちが悪い。しかし現在は単なる崩れた断層のようにみえる。
 今度は展望台に登った。ここは半島と言うより砂州でつながった島であり、回りには海が見える。かすみがちで遠くまでは見えないが、南に萩の町並みが見える。展望台に大坪君はいなかった。入れ違いに火口に降りたらしい。
 大坪君を見つけると、再び萩へと向かって走り出した。下りは早い。あっと言う間に明神池まで降りてきた。風穴に寄ってみることにして、自転車を降りる。
 明神池のそばに神社があり、風穴はその境内の奥のようだ。池のほとりに明神池の説明があった。この池は観光用に作られた池かと思ったが、笠山と本州が溶岩と砂州でつながったときに残った自然池で、溶岩の隙間で海とつながっているらしい。淡水と海水の生物が同居しているそうだ。
 売店の前をすぎると、突然気温が下がり肌寒くなった。その奥に風穴がった。火山岩の隙間の穴から風が吹き出しているのだ。その風は真夏でも摂氏13度にしかならないそうだ。前に立つと寒い。
 売店のものらしいテーブルと椅子が近くにおいてある。夏には絶好の避暑になるだろう。

■吉田松陰と伊藤博文

 笠山を離れ、また萩市街へと戻り始めた。途中で山陰線の踏切を越えて南へ向かう。目的地は松陰神社だ。
 すぐに松陰神社に着いた。前が駐車場でさすがに観光バスが何台もとまっている。昨日の津和野もさっきの笠山もそんなに観光客はいなかった。初めて大量の観光客に遭遇することになる。木の下にマウンテンバイクを3台まとめて駐輪すると散策を開始した。
 すぐ左手に吉田松陰歴史館がある。吉田松陰の一生を展示した蝋人形館である。入場料は550円で、やはり須田君が高いとゴネた。まあ、あとでも良いだろうと先に松下村塾を見に行く。
 松下村塾には思った通り観光バスの団体がいた。とても近づくことができない。しばらく待つとガイドさんに連れられて去っていったので、やっと見ることが出来た
 幕末・維新の有名人が多く学んだ所なのだが、私の予想よりはるかに小さかった。一番広い部屋で8畳である。私は大阪の淀屋橋にある敵塾のような規模を想像していた。しかもここで教えていたのは3年もないのだ。
 その奥には吉田松陰が萩に謹慎させられていたときの旧居があった。松陰が閉じこめられていたのはわずか3畳の小さな部屋だ。ここで慕ってくる人たちに教え始めたのが松下村塾の始まりだという。
 一応、お参りをしてから戻る。大坪君とはぐれてしまったので、入り口にある土産物屋で抹茶ソフトをなめながら待った。やがて、吉田松陰歴史館の前で説明を眺めている大坪君が見つかった。時間もなくなってきたので、歴史館には入らないことにした。
 次は伊藤博文旧宅だ。松陰神社からはすぐの所にある伊藤博文が少年時代を過ごした家だ。無料で見学自由。しかしやはり手入れは行き届いていない。とりあえずひととり眺めると出発した。

■藍場川のほとりにて

 観光案内書でもらった地図で調べ、桂太郎旧宅へ行くことにした。
 松陰神社の前を西へ下り、松本川を越えたところで川に沿って左へ曲がる。川沿いの快適な道を南へ走る。案内板に従って右へ曲がると駐車場があった。その手前を左へ入ると藍場川沿いの道になる。すぐに川を挟んで旧湯川家住宅というのがあった。入り口の前には小さい橋が架かっている。そこには自転車を止められる場所がないので、さっきの駐車場へ引き返して駐輪した。
 駐車場はちょうど旧湯川家住宅の裏にあり、裏口から直接入ることが出来る。私は湯川家というのが何かは知らなかった。しかし知らなくても当然。藩政時代からあり、藍場川の水の利用法を特によく残している住宅として、持ち主から萩市に寄付された住宅なのである。見学出来るように修理・改修を行い、最近公開されるようになったもののようだ。
 裏口から入ると庭園であった。藍場川から引き込んだ水が庭を流れ、小さいながらも美しい庭園だ。
 母屋の左に離れ屋があり、そこに風呂場がある。風呂場の壁際の床は穴があり、藍場川の水面が見えている。藍場川の水を風呂に利用していたのだ。
 母屋はまだ上がって見学は出来ないが、台所が見学できた。さっきの庭園を流れた水は母屋の下へ入り、台所の床を流れている。風呂場と同様に、台所仕事にこの水が使えるのだ。段で水際に降りられるようになっている。この段をハトバと言うそうだ。
 この旧湯川家住宅は大変興味深い建物だった。表の門から橋を渡って前の道へ出た。この住宅の価値を知ってから改めて眺めると、この藍場川の風景は大変美しかった。
 駐車場へ引き返し再び自転車を引っぱり出すと、藍場川にそって走り出した。藍場川は水の利用のために掘られた人工の川である。幅は広くても2mはない。その川沿いに道が続いており、川に面した家々にはみんなハトバがもうけられている。
 すぐに桂太郎旧宅があった。桂太郎は3度も総理大臣になった人物である。しかし高校では世界史を勉強していたという須田君は桂太郎を知らなかった。
 自転車を止めて見学しようと橋を渡ると、玄関に表札がかかっているのに気が付いた。えっ、と思って私は立ち止まった。門の外から中をうかがうと今も住んでいる雰囲気がする。つまりこの家は現在も住宅として現役なのだ。
 あわてて橋を戻って道から眺めた。横に案内板があるのでここに間違いない。現在も人が住んでいるということに、私は明治から現代への歴史の連続性にいきなり気が付いた。考えれば当然のことだった。

■城下町

 藍場川に沿ってさらに走り続ける。
 水は住宅地の中を何度も曲がりなが流れていく。だんだんと現代風の普通の住宅が増えてきて、最初の雰囲気は薄れてきた。
 民俗博物館と郷土資料館へ行こうということになり、藍場川を途中で離れ、国道沿いにあるそっちへ回ってみた。しかしどちらも休館日でしまっていた。仕方がないので城下町へ行ってみることにした。民俗博物館からは美術館の前を通って橋を渡ればすぐである。
 萩城下町と呼ばれているのは、木戸孝允旧宅や高杉晋作生誕の地などが集まっている、昔の町並みがよく残されている一帯を言う。
 ちょっとぐるっと走ってから高杉晋作生誕地へ行ってみた。ここには観光客が結構集まっている。入り口の横ではおじさんが土産やジュースを売っていた。
 そこのしぼりたての夏みかんジュースを買ってみた。添加物なしの100%夏みかんだそうである。テレビで紹介されたこともあると、売り手のおじさんは自信たっぷりでお客に勧めている。確かにそのジュースはおいしかった。
 さて、高杉晋作が生まれたという家に入ってみる。この家は晋作の父親の家だった。家の2面を庭から見ることが出来る。縁側に面した座敷にガラスのショーケースがあり、高杉晋作にまつわる資料なんかが展示してあった。指名手配の似顔絵も展示してあった。西郷隆盛は分かるが高杉晋作は写真とは全然似ていなかった。
 出ると今度は木戸孝允旧宅へ行った。しかし大屋根をかぶして大改修の真っ最中で見学はできなった。まだ大工さんが働いている。前だけを通り過ぎた
 もう一つ、菊屋家住宅というのがあった。菊屋は藩の御用商人だったそうだ。そのため、この屋敷は立派な作りで庭園も美しく、また民具、美術品も往年のまま展示されているという。私は入りたかったが、入場料500円にやはり須田君がぐずりだした。仕方がないので今晩考えて、入るなら翌朝に訪れることにする。
 時間もそろそろ良い時間である。今晩の宿に向かうことにした。菊屋の前の道を西へ進み、左右に分かれる道を左へ入った。
 左手に学校があり、右手には立派な土塀が続いている。問田益田氏旧宅の土塀だ。向かいの学校は萩高校で、明治時代に建てられたという校舎が人気があるらしい。しかし学校と言うことで入りにくい。この校舎のことは須田君にも大坪君にも黙っていたので、2人は最後まで知らなかったかも知れない。
 次に右に立派な門が現れた。旧福原家萩屋敷門だそうである。
 道が突き当たったので右へ曲がる。次の角を左へ曲がると道と川の向こうに今日の宿泊先、国民宿舎「城苑」があった。

■国民宿舎「城苑」

 信号を渡り橋を越えると入っていく。玄関の前を通り過ぎて駐輪場がないかと探していると、宿舎の方が出てきて、止める場所を教えてくれた。
 中に入るとチェックインをする。ロビーが吹き抜けのちょっとおしゃれな作りの国民宿舎だ。外観に比べて内装は新しい。私たちの部屋は3階のかどにあり、2方がベランダで萩城跡が見えるなかなかの部屋だった。下を見下ろすと私たちの自転車が見えた。
 さっそく階下の風呂へ。風呂もなかなか広かった。湯船の向こうの壁に萩の観光地図が書いてある。今日のルートを確認したり、明日の散策を湯船に浸かりながら考えることが出来た。
 風呂を出ると食事である。ロビーから階段で少し上がったところにレストランがあり、そこでいただく。レストランは川に面している。たそがれに包まれかかった城下町が見えていた。食事もよく、この宿舎は今回1番の当たりだったようだ。
 宿へ戻って休憩すると、夜の萩を徘徊に出かけることになった。言うまでもなくアルコールとおつまみを仕入れるためである。
 町の中心部は東萩駅の方だろうと思えるので東へ向かって歩く。北よりの広い道を行く。東萩は随分向こうのように私には思えた。しかし須田君は地図で見ても小さい町だったから10分もかからないはずだという。本当は東萩駅前の地ビールが忘れられなかったのだろう。
 しかし歩けども歩けども周りは暗く、普通の民家ばかりである。途中で大きなホテルが3軒ほど合ったが、あまり客は入っているようでもなく、ロビーに人はまばら。道を歩いている人もいなかった。
 延々と歩いたあと、初めて車の通る大通りにでた。といっても2車線である。もう東萩はあきらめ、この道沿いに店を探すことになった。やはり須田君の距離感はあてにならない。彼は距離感だけでなく、下りも記憶に残らない性格である。
 コンビニがあったのでそこでおつまみだけを買う。ビールは宿の自動販売機で買うことにした。私と須田君はアイスクリームも仕入れた。
 ハーゲンダッツの棒付きチョコナッツのアイスクリームを食べながら宿へと帰る。行きとは別の道だ。裏通りでもないのだが、普通の民家の中の道で街灯も少なくて暗い。しかし道の脇には、常念寺表門とか旧益田家物見櫓、旧周布家長屋門などがあった。益田家は永代家老職で、この屋敷は城の門のそばにあったため、櫓を兼ねていたのだそうだ。ということはここから萩城跡までは城の中であったわけだ。現在は民家が並んでいる。
 宿へ帰り着くとビールやチューハイを買い求め部屋へ戻った。それぞれチビチビゴクゴクやりながらのんびりと夜を楽しむ。しかし天気予報が翌日は昼まで雨だと予告していた。



★★★ 第3日目  歴史の町から大自然のまっただ中へ ★★★


■雨の城跡

 朝起きると天気予報通り雨だった。しかも本降りである。ぐずりながら朝食を食べ、ため息を付きながら出発の準備をする。雨具装着だ。前回の大井川ツーリングが雨だったので、今回は勘弁して欲しい所だが、また雨だ。初日の津和野ではポツポツ程度で、散策を始める頃にはやんでいた。今日もやんで欲しい。
 濡れた自転車を引っぱり出すと、まずは旧厚狭毛利家萩屋敷長屋へ向かう。向かいの萩史料館の軒下に自転車を止める。萩資料館は9時からでまだ開館していない。先に長屋を見学である。
 その長屋は武家屋敷としては最大で、51m×5mの文字通り長屋である。道路に面している方が壁で、門を入ると全ての部屋は中庭に面して縁側を開いている。長い。奥行きが5mしかないので、奥方向には1部屋ないしは2部屋だ。こんな細長い建物を何に使ったのだろう?
 次は指月山公園に入っていった。萩城跡である。萩城は毛利元就の孫で萩藩の祖、毛利輝元が築いた城である。背後に自然の要害、指月山を背負っている。いまは城跡に志都岐山神社があるだけで、天守閣などはない。明治になって解体されたからだ。
 指月山へのハイキングコースもあるが、この雨では行く気がしない。堀の石垣に登ってみると天守があったらしき土台の石垣が確認できた。天守閣があれば堀に写ってさぞ立派だったろうと思う。
 指月山公園を出ると萩史料館に入った。その名の通り、萩の藩政から明治維新までの歴史資料が展示してある。高杉晋作生家にもあった指名手配のビラもあった。ここではそばでよく見ることができた。

■萩、最後の散策

 史料館を出ると雨の中、市街散策に出た。昨日、見ていないところを回るのである。それが終われば、いよいよ秋吉台に向けて出発することになる。
 城苑の前で橋を渡り、川沿いに南へ向かう。左へ斜めの道を入れば、すぐに口羽家宅門がある。この門は外から見学できるだけであるが、立派な門である。この家は今も人が住んでいる。
 そこからは道は未舗装になる。直角に折れ曲がる「鍵曲」という道である。敵の侵入を妨害する城下町にはよくある道だ。映画の撮影にも使われ、観光スポットらしいが、平日の朝でもあり雨も降っているということで誰もいない。泥ハネを気にしながら進む。
 その道の突き当たりが旧児玉家長屋門だった。石碑があった。右へ曲がると平安橋である。さらに進み、国道を越えたところに久坂玄瑞旧宅跡の碑があった。その先を右に、突き当たりをまた右に曲がると、また鍵曲がある。もう一度、国道を渡り、松並木の下を北へ戻る。もうあてもなくさまよっているだけだ。
 川沿いに東へ行き、さっきの平安橋の前を横切る。次の橋を渡ると春日神社に突き当たる。神社の右を回り込めば、昨日行き損ねた菊屋家住宅のそばだ。しかし雨が降っていて駐輪が面倒なのと、須田君がまたゴネそうなのであきらめた。
 田中義一の銅像がある公園を回り、再び城苑の方へ向かう。途中にある旧毛利別邸表門を見、城苑の前から昨晩散歩の帰りに使った道を逆走する。昼間にもう一度見たかったからである。
 一度、東側の奥まで行くと南回りでとって返し、昨日走り残した藍場川沿いの道を完走した。

■嗚呼、国道490号

 国道191号へ出たので、このまま萩を出ることにする。時刻は10時半。ちょうど良い時間である。途中で昼食を食べれば午後1時頃にはサファリランドに着くだろう。
 玉江橋を渡り市街地を出る。橋を渡ったとたん住宅はなくなる。いや、住宅はおろか、小規模な工場以外は何もない。
 私は「しまった」と思った。昼食用の弁当を買っていないのだ。それどころか補給食すらない。今回は観光メインだったので、走るための用意は全く無い。昨日の津和野〜萩間は途中に町が何度もあったので大丈夫だった。しかし今日の萩〜秋吉台間は何もなさそうだ。そのうち何か店ぐらいあるだろうと思ったが、何も現れない。そのうち、国道490号との分岐までやってきた。191号からは分かれ、これを行くつもりであった。
 実は、この国道490号を行くかどうかは、昨晩、須田君ともめた。私が用意した地形図ではまだ国道になっていなくて細い道で書かれていた。だから自転車で走るには良さそうに思えたのである。平坦ではないが、峠も低く傾斜もそんなにきつくはない。車も少なそうに思えた。
 しかし観光ガイドの地図で見ると国道に昇格していた。490号である。400番台の終わりという怪しい国道であるが、昇格したからには道幅も広げ、交通量も多いだろうと須田君は言い張る。代案に須田君が出したのは、もっと東回りの道だった。地形図で見ると細い線で書かれておりダートかも知れない。
 あれやこれやともめたあげく、雨が降るから確実な道を行こうと私が押し切り、こちらへ来たのである。今となっては須田君の提案した道の是非は分からない。どんな道だったか分からないのは残念ではある。
 さて、490号と191号の分岐で雨具を脱ぐことにした。もう小雨であり、時間的にもやみそうであった。それにここから登りになるので暑い。
 490号は2車線の道で広かった。しかしほとんど車は入っていかない。1度だけトラックが通った。雨具をしまい、そばにあった自動販売機で飲み物を補給すると国道490号の坂を登り始めた。
 しかし登り始めるとすぐに分岐が現れた。しかもどちらも細い。私たちの行くべき490号は左である。それにしても細い。舗装されているが、まるで林道サイズである。でもちゃんとROUTE 490の標識は出ている。須田君はブーイングを発した。国道昇格はしたが、別に幅員拡張や整備はしなかったらしい。
 森の中の静かな田舎道を登っていくと、突然騒々しい音が聞こえてきた。砂利採り場だ。山あいと森のおかげで下の方には騒音は届きにくいらしい。
 砂利採り場をすぎるとまた静かな山の中になった。途中で一度止まり、用を足す。再び出発し、カーブを曲がったところでトラックが来た。道幅ぎりぎりであるが、幸い横に避けられる平地があったので助かった。その先に工事現場があった。そこへ来ていたトラックらしい。
 道は完全に山の中の静かな道になった。もう車は来ないようだ。山深い良い雰囲気の中を登っていく。地図には池ヶ峠というのが載っていたが、どこが峠かははっきりしなかった。分岐を一つ見送ると、いつのまにか道は下りになっていた。
 さっきの分岐の続きらしい道が左下に見えた。家が何軒か見える。住んでいる人には失礼かもしれないが、人知れず存在する山里といった雰囲気である。
 道は右手に山、左手に谷として曲がりながら続く。谷側の左に展望がいくらかある。なんと、途中でバス停があった。わざわざ止まり、時刻表を調べてみると萩へ行くバスと萩からくるバスが1日に3本ずつほどあるらいし。この道幅でバスは大変であろう。
 次の分岐で現在位置を確認していると対向車が来た。地元車ではなさそうで、分岐でちょっと車を止めて悩んでいたようだが、すぐに萩の方へ走っていった。私は地図上で現在位置を確認出来た。ここは直進である。
 やがて集落が現れた。次の分岐で国道490号と離れることになる。490号は南下するのであるが、私たちは西へ進むのだ。しかしその分岐には、私たちの進む道が工事中で通行止め、と書いた標識があった。そこに書いている地図では具体的にどの辺りが工事中なのかはっきりしない。とりあえず進むことにする。
 集落も大きくなり、もう普通の田舎道になってしまった。小学校もあった。農道との分岐をやり過ごしたとき、正午のサイレンの音が響いた。その音を聞くと昼食のことを思い出し、腹が空いてきた。しかしこの辺りに食べ物を売っている店はない。
 次の分岐にも工事中の標識があった。どうやら私たちが進むべき道そのものが工事中らしい。しかしここでこの道を避けると大変遠回りとなる。分岐で悩んでいると、地元のおばさんがスクーターで通りかかった。そして通ることが出来ると教えてくれた。私たちはその言葉でいっぺんに救われ、先に進むことができた。地元のおばさん、様々である。
 先に進むと下りの傾斜がきつくなった辺りで工事現場になった。崖崩れの復旧と補強工事のようだ。路面はダートになっている。今度はマウンテンバイク様々である。路面を気にせずどんどん下っていくと、やがて、秋吉台や小郡へと続く道へと合流した。

■秋吉台到着

 ここから山中峠まで登りが続く。結構応える。この道も広さの割には車は少なく走りやすいことは走りやすかった。
 やっと登り切るといっきに下りになった。そんなにきつい傾斜ではないので、快適に飛ばせる。雨は止んで路面は乾き始めている。
 大きな分岐が現れた。直進が小郡、右がサファリランド・秋吉台道路である。もちろん私たちは右だ。信号を渡り右へ曲がる。
 すぐにサファリランドの入り口へ着いた。しかし最初に私が求めたのはレストランであった。看板には大きなレストランがあると書いてある。ここにはサファリランドと遊園地がある。レストランが遊園地の中だと困ったことになる。レストランが外にあれば良いのだが…。
 駐車場までやってくると、右手に売店兼レストランの建物があった。3台まとめて駐輪すると、土産物が並んだ売店を抜け、レストランに入った。おのおのが食事を注文すると、ちょっと遅めの昼食にありつくことができた。
 食事を済ませると、サファリランド見学である。しかしこれにも一悶着の気配が見えていた。言わずと知れた須田君のブーイングである。
 事前の調べではサファリランドの入場料は2100円であった。しかし切符売り場に行ってみると2400円に値上がりしていた。しかもサファリバス代が別に400円かかるという。自家用車で入るのなら要らないのだが、自転車の私たちはバスに乗らないといけないのだ。自転車で入れないかなあ、と話し合ったが、肉食動物エリアで襲われる可能性があるので、それは無理であろう(もちろん冗談だったが)。
 併せて2800円であることが分かると、須田君がうめいた。しかもバスの時間まで40分以上も待たないといけない。大坪君も2800円はきついと言ったが、見たい気持ちはあるので入るつもりである。多数決では須田君も逆らえない。
 そばの休憩所に入って時間をつぶすことにした。その休憩所は遊園地の入り口の横にあったが、眺めていても全然客の出入りの様子がない。平日とは言えゴールデンウィークである。ちょっとこれは客が少なすぎるのではないかと、経営を心配したりする。
 やがてバスの時間が近づいたので乗り場へと向かった。

■サファリランド

 天気予報では昼からは晴れるということであったが、雨はあがったものの雲はまだ厚かった。どんよりとしていて楽しい雰囲気ではない。残念に思いながらも、サファリバスはゲートを通って中へと入っていった。
 前後に自家用車は結構いるが、バスに乗っているのは私たちを含め3グループ。10人も乗っていない。おかけで外は眺めやすい
 最初は象のエリアだった。ベストポジションで運転手がバスを止めてくれる。親象と子象がいて、係員がなにやら世話をしていた。
 次にはラクダがいた。一匹が道路のそばに座り、バスを覗き込もうとする。私はサファリランドはおろか動物園も20年ほど行ったことがなかった。記憶の中では初めてみることになるラクダは変な歩き方だった。
 池があるエリアにはサイがいた。ちょっとこれは近づかれると怖いかもしれない。しかし池から道へは登れないようになっていた。
 盛り上がった丘の上にはクマがいた。寝床らしいコンクリートの囲いの中には何頭ものクマがゴロゴロと寝ている。
 さて、重々しい金網の扉を2つ通ると、肉食獣エリアである。最初はチーターであった。バスから離れたところを何頭か連なって、のそりのそりと歩いている。確かにこれは自転車で入れるわけはない。
 たまに巡回しているのかサファリランドの車が通る。シマウマ模様のカラーリングだ。女性が運転している車もあった。
 次の扉を通るとライオンであった。立派なたてがみの雄ライオンが道の横に座っている。雌ライオンも何匹か寝そべっている。動物園の網越しよりは遠いはずだが、網の中にいないということのせいか、こっちの方が迫力はある。
 次はベンガルトラであった。美しい毛並みのトラである。岩の上に堂々と横たわっている。草むらに寝ていたり、木の台に寝ていたりと、随分のんびりの様子だ。
 トラのエリアを出ると、ヤギのような動物がたくさん歩いているエリアになった。人も大勢歩いているので、ここは自由に歩ける所らしい。
 バスが止まり、「ふれあい広場で降りる方はいませんか?」と運転手が聞いた。私たちは事情がよく分からない。ここで放り出されては、自転車を取りに戻らないといけない私たちは困ることになる。バスに乗ったところまで歩いていけるのか尋ねると、歩いていけるという返事だったので、降りることにした。
 結局、サファリバスは30分とかからずにまわってしまったことになる。ちょっと物足りなかったが、ホワイトタイガーを始め、まだいろいろな動物がここにはいるようだ。この「ふれあい広場」と呼ばれるエリアでは動物に自由にふれることが出来るようになっているらしい。すぐ横をさっきのヤギに似た動物が群れて歩いている。
 まずレッサーパンダの檻を眺めてみた。ここはガラス張りの部屋と柵の檻があり、残念ながらさわることは出来ない。一匹のレッサーパンダが檻の中に作りつけられた横木の上を歩いている。見かけより身のこなしは軽い。
 その隣はウサギとモルモットの檻だった。中に入ってそばで見てさわることが出来る。一応、かまれることの注意は書いてある。入ってみると、ウサギがそこらで飛びはね、モルモットはすみに隠れて丸くなっている。
 さらに隣はリスザルの檻だった。2重の扉になっていて、逃げ出しにくいようになっている。いたずらに注意するようにと書いてあるので、他の猿と同じようにいたずら好きなのであろう。身の丈15センチほどの小さな猿だ。
 道路を挟んで向かいはホワイトタイガーの檻だった。ホワイトタイガーは秋吉台サファリランドのウリの動物になっている珍しい白いトラである。若干黄色がかったものもいるが、真っ白のやつもいて、檻の中をウロウロしている。こちらにお尻を向けると要注意らしい。
 その横は大型の鳥の檻だった。しかしエミューという鳥が外に出ている。出ているということは安全な鳥ということなのだろうが、その大きさはやはりちょっと怖い。まさか何かの間違いで外に出ているのではあるまいな、と疑ってしまう。
 カンガルーの檻もあった。これは人も入ることが出来、カンガルーをすぐそばで見ることが出来る。一匹のカンガルーがなぜか仰向けになって腹を掻いている様子が滑稽だった。
 キリンとシマウマとダチョウが一緒に入っている大きな囲いもあった。写真を撮ろうとすると、ダチョウは無関心ですぐに写せた。しかしキリンが大変だった。カメラを持って近づくと逃げていくのである。そして遠くからこっちを眺めている。警戒心がよほど強いのだろう。
 「動物村」というのもあった。柵で囲んで中で鳥を放し飼いにしているらしい。しかし屋根があるわけではないので、飛べない鳥と羽を切った鳥を放してあるのだろう。入り口には「他の動物を入れないで。特にエミュー」と書いてあった。やはりあのエミューという鳥はアブナイ奴だったのだ。
 中に入ると真ん中に池があった。そのほとりにはアヒルやガチョウがたむろしている。近づいても逃げもしない。
 すぐそばに一匹のアヒルがじっと立っていた。しばらく見ていたが身動き一つしない。おとなしいやつだな、と思ってさわろうと手を伸ばすと、いきなり「ガァッ!!」と噛みつきやがった。私は別に痛くもなかったが、そばにいた須田君がびっくりした。
 放し飼いになっている動物以外にも檻に入っているエゾリスとかアライグマ、フクロウなんかがいる。クジャクもいたが、雄はそとに離してあるらしい。凶暴な奴じゃあるまいな、とちょっと警戒したが、どこに行ったのか姿は見えなかった。
 動物村を出ると象の親子を見に行った。アキとヨシという名前だそうだ。象の身体に触ってみたが、その皮膚は硬質ゴムのように堅かった。

■大正洞

 時間が迫ってきていた。あと、大正洞を回ったあと、秋吉台道路を通って秋吉洞の向こうにある国民宿舎まで行かないといけない。距離にして、まだ10kmほどはあるようだ。
 サファリランドの入場券には大正洞の入場券がついていたので、ぜひ見学したかった。さらにさっきのレストランの飲み物券が付いていた。どうでも良いと言えばどうでも良いのだが、そこはそれ、タダでもらえるものは何でももらおうという精神の持ち主ばかりである。
 象の親子からは離れると、急いで駐車場の方へと戻り始めた。本来は車で来るものなので、歩くと結構距離がある。トボトボと歩いていくと自転車を止めた駐車場の端に来た。
 レストランに入るとアイスコーヒーなりオレンジジュースなりを注文する。もうレストランには他の客は一人もいない。今日は平日のせいか、本当に客が少ないらしい。ゴールデンウィークとは言え、合間の平日に日程を設定したのは正解だったようだ。
 飲み終えると、自転車を取り出し出発した。時間は4時。おそらく大正洞は4時半に閉まるだろう。急がないといけない。
 サファリランドについていた券では、大正洞か景清洞のどちらかが見学できることになっていた。どちらもサファリランドの近くにある鍾乳洞である。しかし景清洞は私たちの行く方向とは反対であった。対して大正洞は私たちの泊まる国民宿舎の方向で、秋吉台道路の途中にある。だから大正洞を選んだのだった。
 サファリランドを出ると右へ曲がり、2車線の道路を登っていく。すぐに左に大正洞の駐車場とお土産屋があった。傍らに駐輪すると大正洞へと向かう。
 また土産物屋があり、その向こうに券売場があった。まだなんとか間に合った。無線で説明が聞ける「マグシーバー」というのを借りる料金は別で、100円を払って借りた。マグシーバーのイヤホンを耳に入れると、音楽が聞こえてきた。
 券売場から門を通って中に入る。まだしばらくは地上の遊歩道が続くらしい。シダが茂る静かな道を歩いていく。
 大正洞の入り口が見えた。入り口はそんなに大きくはない。この大正洞は、鍾乳洞としては若い部類に入り、これから広がっていくのだそうだ。秋吉洞と違って水が流れ込んでいく鍾乳洞であり、中は立体的に広がっているという。
 入ってみると狭い。テレビのスペシャル番組の○○探検隊の気分だ。イヤホンから説明が聞こえてくる。男性と女性のトーク番組風のおしゃべりである。
 私は鍾乳洞というのは初めて入ったが、予想していたのとは随分イメージが違っていた。てっきり天井からは無数に鍾乳石が垂れ下がり、地面からは石筍が生えているものと思っていたのだ。しかし実際はそんなにつららのように垂れ下がった鍾乳石は少なく、はっきりと地面から生えている石筍も多くなかった。大正洞が若い鍾乳洞だからかも知れない。天井や壁の岩は無数に溝が出来、むしろエイリアンの身体のようで不気味だった。
 立体的な鍾乳洞ということで、階段を降りたり登ったりを繰り返す。頭を下げないと通れない通路もある。最後に出た所はわりと広い洞窟だった。真ん中辺りに「獅子岩」という石筍が立っている。神社にある狛犬のような形をしていた。
 私たちの他には数人しか見学客はいなかった。初めての鍾乳洞をたっぷり堪能し、外へ出た。また森の中の遊歩道を通って戻る。行きは気づかなかったが、道の左右のあちこちに岩がむき出しになっている。やはりここはカルスト台地の一部なのだ。その岩に所々穴が空いていたり、水が流れ込んだりしている。
 券売場でマグシーバーを返すと、土産物屋でアイスクリームを買って休憩した。時間は5時前。大正洞は私たちが見学している間にすでに閉洞していた。

■夕日の秋吉台道路

 自転車のところまで戻ると、今日の最後の目的地へ向けて出発した。
 サファリランドにいる間に徐々に雲は去り、大正洞に入っている間に青空が広がってきた。時間はもう夕方だが、今日初めての日光がさしてきていた。
 道はひたすらジリジリと登っていく。しかし道の先に徐々に草原の丘が見えてきた。大きく左に曲がったころから左下にも草原が見えてきた。草の中に無数にある白いものは石灰岩である。もう目の前は一面、高原ような丘が続いている。
 途中で止まり写真をとった。私は1眼レフカメラとデジタルカメラの2つを持ってきていた。デジタルカメラは61枚の撮影枚数をここで使い尽くし、1眼レフの方もフィルムを入れ替えた。
 さて、また出発だ。まだしばらく上りが続く。しかしやがてとうとうピークまで登り切った。自転車は一気にスピードを増し、大草原の中をカッ飛んでいく。四方全て、遙か彼方まで草原が続いている。毎年行っている信州の高原を思い出した。しかしあの2000mの高原に対し、ここは高くても400mそこそこで、ずっと楽な行程で、この素晴らしい草原が満喫できるのだ!
 「長者ヶ森」と呼ばれるカルスト台地に残された森の前を通り、秋吉台道路をどんどん下っていく。右に草原の写真を撮っている人がいた。私たちも被写体として狙われたかも知れない。
 私たちが泊まる宿は、秋吉台を南へ下り秋吉洞の入り口の前を1キロほど下ったところにある国民宿舎「秋吉台」だった。一気に標高を下げてゆき、秋吉洞の入り口の土産物屋街の前を通り過ぎる。
 次の交差点を右へ曲がってしばらく行くと、右に国民宿舎が見えてきた。

■国民宿舎「秋吉台」

 その国民宿舎はボーリング場やカラオケや宴会場もある、パッと見、ドライブインのような建物だった。入り口の前のすみに自転車を止めると中へはいる。
 入ってすぐの左が食堂になっている。右が土産物の売店である。食堂の向こうにフロントがあった。フロントというよりボーリング場の受付カウンターのようである。
 チェックインすると部屋へ案内してもらう。売店の横から廊下を進む。途中に宴会場があり、結婚式の披露宴らしきものが行われていた。近くの消防署の人たちらしい。
 細い廊下を随分行った、奥から近いドアが私たちの部屋だった。部屋は国民宿舎と言うより民宿のようだった。値段も民宿並なので、まあ相応という所だろう。しかしトイレは部屋に付いていた。
 到着が遅かったので先に食事にする。また廊下を戻ると食堂へ入った。昼間は普通のレストランとしても営業しているのであろう、外から直接入れる扉もある。
私たちは自分たちのテーブルに付くとビールを頼み食事を始めた。
 しかし今日は起伏のある道を走ったので、おなかが減っている。ご飯も欲しい。いつものことなのだが、ビールを頼むとまずご飯は出てこない。当然と言えば当然なのだが、飲みながら食う、これがいつもの私たちのツーリングの夕食だった。仕方がないので呼んでご飯を持ってきてもらう。しかもしっかりおかわりまでいただいた。
 部屋へ戻ると休憩したあと、風呂へ入る。今日は風呂上がりに一杯やるためのものを買っていない。宿舎内の自動販売機と売店で買えるものだけでおとなしく寝ることになった。



★★★ 第4日目  カルスト台地から維新の町へ ★★★


■秋吉洞をゆく

 朝食に行くと、ご飯がおひつで出た。昨日の晩飯で、私たちの食欲がバレたか、と思ったが、それだけでなく私たちが自転車で来たことが知れたらしい。私たちの自転車はレストランから見えるところにとめてある。
 食事を運んできたおばさんが、どこから来たのか、どこへ行くのかを聞いた。「秋吉台は山で大変でしょう?」とも聞かれたが、私たちは昨日すでに越えてきており、今日はもう登る予定はなかったので気楽だった。
 食事を終えるとチェックアウトする。宿の前で写真を撮ると、秋吉洞へ向かって走り始めた。昨日、下ってきた道を戻っていく。やや登りだが傾斜は平坦に近いくらい緩い。
 実は本当は国民宿舎「秋吉台」ではなく、台地の真ん中にある公営国民宿舎「若竹山荘」に泊まるつもりだった。しかし、私がうっかりして間違えてしまったのだ。電話予約を担当した須田君が予約を無事に取ってから、宿の間違いに気が付いたのである。「若竹山荘」は、展望台に隣接した草原の中にある立地条件のよい宿舎である。カルスト台地を散策するには便利だ。秋吉洞へ降りるエレベーターもすぐ近くにある。
 しかし秋吉洞を正面から入るには、私たちが泊まった宿舎「秋吉台」の方が便利であった。秋吉洞の入り口からは、両側に土産物屋や食堂が並んだ道が秋吉台道路までのびている。そこまで宿からはすぐに着いた。
 まだ朝で観光客も少ない。土産物屋が並ぶ道を進んでいく。終点が秋吉洞の券売場だった。券売場の人が横の空き地に止めるように教えてくれた。
 秋吉洞は朝8時半開洞で、私たちが着いたときには開いたばかりだった。早速券を買い、入ってみる。
 木々の茂る谷間の道が続く。地面には美しい水が流れ、その間に遊歩道がつくられてあった。やがて正面の崖に、ビル何階分もある大きな洞窟の入り口が現れた。そこからは大量の水が流れ出しており、その上に見学用遊歩道が組み上げてある。入り口の前にあるモミジが紅葉しているのが不思議だった。
 人もまばらな遊歩道を私たちも入っていった
 中は広かった。幅は10m以上あり天井も10m近くある。豊富な水が右に広い川となって鍾乳洞の奥から流れてくる。所々にライトがあり、壁や天井を照らしている。天井からは鍾乳石がはっきりと垂れ下がっていた。
 いろいろな形の鍾乳石があった。何万年もかけて自然が造り上げたオブジェである。富士山のように盛り上がった大きな石筍もある。「百枚皿」と呼ばれる何枚もの皿のようになった地面など、天井、壁、地面とあらゆる面に石灰岩はその神秘的な形を露出させていた。
 秋吉洞は大正洞とちがって、発達した後の鍾乳洞である。そして水平に大きく広がった大洞窟だ。奥でいくらか登りになっているが、途中まではほとんど水平である。
 奥で二つに分かれていた。右に台地の上に上がるエレベータがあり、左は黒谷支洞という洞窟がまだ続いている。黒谷支洞の方へ行ってみる。
 すぐに秋吉洞の代表的な鍾乳石「黄金柱」があった。床から天井まで届く大鍾乳石だ。ライトの光を受けて金色に見える。やはりここでは記念写真を撮る人が多い。写真屋もいる。
 さらに黒谷支洞を進む。幅は狭くなるが天井は高い。途中に「マリア観音像」という2mほどある石筍があった。確かに子供を抱いた女性の姿に見えなくもない。

■カルスト台地をゆく

 やがて黒谷支洞も終わり、出口についた。
 秋吉洞には3つの出入り口がある。私たちが入った入り口と、黒谷支洞の奥と、エレベータで丘に上がる3つである。私たちはエレベーターで上に上がるつもりだったので、ここは引き返す。
 再び黄金柱の前を通り、さっきの分岐を右へ行く。すぐにエレベータの乗り場があった。ここから出てても、帰りは100円で鍾乳洞内を通してもらえるという。
 エレベータを降りると本当に秋吉台カルスト台地のど真ん中だった。急に外に出てきたために陽の光がまぶしい。
 自分のいる位置がよく分からないので、とりあえず展望台と書かれた方へ行ってみる。傾斜のきついアスファルトを登っていくと、頭の上を道路が横切った。秋吉台道路から若竹山荘やホテルへと続く道路だろう。すぐに左手に売店があった。その裏に若竹山荘があった。売店の向かいには展望台があった。
 展望台に登ってみた。周囲180度が草原だ。南方向だけが木々が多い。秋吉洞はカルスト台地の南端近くにあるからだ。東から北に向けて秋吉台道路が続き、車が走っているのが見える。こうやってみるとすぐそこに見える。反対側には草原の真ん中にホテルがあるのが見えた。そして秋吉台道路との間は視界の届く限り草原だった。平らではなくて丘とへこみを繰り返す高原のような風景だ。唯一違うのは草の中に白い石灰岩がちりばめられていることだろう。
 写真を撮ったりしたあと、備え付けの望遠鏡にお金を入れ、覗いてみた。散策できる遊歩道を探すためだ。あちこちに道はあった。自転車でも通れるのではないかと思ったが、入り口には車止めがあった。自転車進入禁止は書いてなかったが、普通こういうところは自転車乗り入れ禁止のところが多い。それにアップダウンが激しいので、自転車を置いてきたのは正解だったろう。
 展望台を降りると、カルスト台地の散策を開始した。散策用の馬車もあるようだが、乗り場には馬車はなかった。私たちはコンクリートで細く固められた遊歩道を下っていった。
 再び丘の上に登り返す展望が広がる。本当に志賀高原や霧ヶ峰といった高原に来ているようだ。地面が石灰岩なので森ができないのであろう。草原はいくつもの丘を繰り返し続いている。
 随分歩き、疲れた私たちは剣山というところで休憩する事にした。振り返ればさっきの展望台が向こうに見える。その横が若竹山荘だろう。昨日と打って変わった良い天気で青空が広がり、陽の光は草原と私たちを照らしていた。
 ツーリングでこういう素晴らしい風景のまっただ中にくることがよくある。それは高原のような大自然の時もあれば、人が住む山村だったりのときもある。しかしいずれにしても日本はまだまだ捨てた物ではないと感じるのだ。その気になれば走って楽しいところはいくらでもある。そしてまた、こうやってぼんやりとしているときが一番幸せかも知れない。
 しかしまた立ち上がると私たちは戻り始めた。今日は山口までの移動が残っている。そして時間もそろそろお昼に近づいていた。
 行きは気づかなかったが、遊歩道の脇にクイズを書いた石碑があった。クイズの答えは近くの自然博物館にあるらしい。「この台地のへこみに昔に植えられていた作物は何か?」とう問題もあった。どうやら天然記念物に指定される前は農地にもなっていたらしい。
 しかしその石碑の裏に、誰かが落書きをしたのかマジックで答えが書いてあった。それを見た大坪君は、その手前にあったのも全部答えが書いてあるのに違いないと、一人で戻って調べに行った。意外と元気である。
 しばらくすると大坪君が走って帰ってきた。その姿は遠目にはドラマ的な風景であった。大自然というものは、あの大坪君でさえもドラマにしてしまうものらしい。バックに「ロッキー」のテーマ曲でも欲しいところだ。
 やっと展望台まで帰ってきた。暑くなったので前の売店でジュースとアイスクリームを買った。土産物屋にはなんやら化石とか丸い石とかが売られている。しかし荷物が厳しい私たちに買えるような物はあまりなかった。

■秋吉台山口自転車道をゆく

 さて、秋吉洞のエレベータのところまで戻る。さっきの入場券を見せ、100円で再入場券を買うとエレベータに乗り込んだ。
 エレベータを下りると、さっきと違って秋吉洞の中は人が増えていた。朝一番に入って正解だった。こんなに多いとゆっくり見学することができない。修学旅行の学生が大勢いた。私たちはさっさと出口へと向かった。
 あの大きな入り口から再び外へ出た。水がそばを流れる遊歩道を歩き、門から外へ出る。時間は11時半である。自転車のところへ戻ったが、先に食事にすることにした。ここは観光地で食堂はいっぱいある。しかしひとたびここを出発すれば食べるところがないかもしれない。地図だけを取り出すと、土産物屋街を歩いていった。
 右にあった手近な店に入ることにした。メニューを調べると「カルスト丼」という怪しげな食べ物がある。私と大坪君はこれを頼んだ。
 持ってきたどんぶりを見て私たちは驚いた。でかい。形は浅いどんぶりだが、サイズはまるで鍋である。しかし中身はそんなに多くはなく、具の種類の多いそぼろ丼風ちらし寿司といったところだ。
 食事を終えると休憩しながらコースを考える。今日の最終目的地は新幹線の駅がある小郡である。そしてその前に山口と湯田温泉に寄るつもりだった。
 私が考えていたルートは、秋吉台を出ると東へ向かい、国道435号で峠を越えでダイレクトに山口に出、あとは椹野川沿いに小郡まで行くつもりだった。しかし須田君は自転車道で行きたいと希望した。
 この秋吉洞のそばから山口まで「秋吉台山口自転車道」というのが続いているらしい。しかし資料がなく、本当に続いているのかは確認できなかった。地形図で見る限りは、厚東川沿いに途中までは確かに続いている。しかし山あいに入ったところでなくなっている。そばに県道が走っているので、そこの歩道を兼用しているのかもしれない。歩道兼用の自転車道は大抵とんでもないものばかりだ。それにこのコースだと一度小郡の方を回るようなので、山口から小郡へは同じ道を引き返すことになる。
 私は考えあぐねた。確かに国道435号は山越えできつそうである。自転車道はその性質からして、そんなに起伏はないだろう。
 結局、疲労を考えて、自転車道を行くことにした。店を出ると自転車へ戻り、出発する。
 土産物屋街を抜けて秋吉台道路に出るところで、マウンテンバイクに乗った二人連れに出会った。キャンプ泊まりらしく大きな荷物を持って、台地の上へと登っていった。私たちは反対に下に下る。
 すぐに右に自転車道の入り口があった。駐車場の裏を通り、厚東川沿いに自転車道が続いている。山口まで30kmと出ていた。
 道の周りには何もなかった。もともと農道だったのを整備して自転車道にしたのだろう。両側は農地ばかりである。私たちは飲み物を補給しておかなかったことを後悔した。この周りには自動販売機すらない。しかし川沿いであり、自動車はこないので気分はよい。
 やがて両側から山が近づいてきた。自転車道は左へぐるりと回り込むと、2車線の自動車道に合流した。県道31号である。やはりここからはこの道の歩道と兼用らしい。
 この辺りに人家はない。だから歩道と言えども誰も歩いてはいないので、走りやすいと言えば走りやすい。しかし車が走る車道から5mでも離してくれただけでも、ずっと楽しくなるのだが。
 前から荷物を積んだランドナーがやってきた。挨拶を交わしてすれ違う。今朝に山口を出発し秋吉台に向かうのだろう。
 県道28号に入り、二本木峠を越えると道は下りになる。四十八瀬川沿いに下っていく。ちょっとだけ雰囲気のいい道になった。
 やがて中国自動車道の下をくぐった。もう国道9号が近いはずだ。しかししばらく言ったところで、自転車道の標識を見失ってしまった。歩道の上から自転車道を示すカラー舗装がなくなり、標識も見あたらない。この道から離れるのかも知れないと、県道をはずれ、川沿いの道を行ってみた。周りは住宅地になっていた。
 しかしどんどん方角がずれていく。これはおかしいと、とにかく方角のみ修正すると、ひょっこりと国道9号に出た。推測するに、自転車道は9号の西から来て9号を渡り東側の川沿いを通るはずだ。とすれば、このまま国道9号を行けばどこかで自転車道に出会うはずである。
 と思ったらすぐ次の交差点で自転車道の標識が現れた。どうやら最初の県道をそのまままっすぐ行けば良かったようだ。しかし国道9号の歩道と兼用になっており、快適とは言い難い。
 すぐ左手に上郷の駅があった。その先で自転車道は国道から分かれ、JRの下をくぐって川沿いへ出た。一度工事でとぎれたが、迂回した後は堤防の上の快適な道となった。
 若干追い風なのかスピードが出る。時速32kmほどで巡航していく。今回初めての高速巡航だ。大坪君はそのスピードに驚いている。
 一度信号で引っかかり、再びスタートしてしばらくしたら須田君がいなかった。しばらく待ったが来ない。これはパンクだな、と思って引き返すと、道の脇で須田君が後輪を見ていた。
 彼は今回スリックタイやを履いていたのだが、そのタイヤの表面に小さなガラス破片が食い込んでいた。ブロックタイヤなら、まず大丈夫な破片だ。私はセンターリッジ、大坪君はブロックタイヤだったので助かったのだろう。
 須田君がチューブ交換をしている間に、大坪君に時刻表で列車の時刻を調べてもらった。山口をまわった後、小郡まで走るのはやめるつもりだった。湯田温泉駅から小郡まで山口線で輪行しようと思い、新幹線に間に合う列車が知りたかったのだ。
 山口〜小郡の間は頻繁に列車はあった。心配する必要はなさそうだ。須田君の修理も終わったので、再び出発した。

■山口での最後の散策

 自転車道は河川敷を走っている。堤防の向こうに大きな建物も見えるので、そろそろ山口の市街地に入っているようだ。自転車道の標識は、山口まで1キロ、と表示してから出てこなくなった。もうとっくに1キロはすぎているはずだ。しかし自転車道は終わる気配がない。自転車道の終点の山口というのがどの辺りなのか分からなかったが、私たちの目指す山口県庁周辺は、まだ先のように思える。
 やがて自転車道は橋を渡り、東岸へ出た。その先でまた橋を渡り返した。その橋のたもとに自転車道の案内板があった。それを見ると自転車道は1本ではなく、山口で別の自転車道をつながっているらしい。私たちはその別の方へ入り込んでいるのだ。しかし、JRの山口駅は川沿いにまだ先のようである。それで私たちはまだ直進することにした。
 次の橋に来たとき、今度は自分の地図を出して現在位置を確認した。するととんでもない間違いをしていることに気が付いた。山口駅は確かに川からそんなに離れていないところにあるのだが、私たちが沿っている川とは枝分かれした支流の川だったのだ。
 あやうく全然違うところに行くところだった。まだ500mほどしか行きすぎていないので、すぐに戻る。
 やっと山口駅までやってきた。駅前の商店街を北へ上がる。次の交差点を地下道で渡ると、左が亀山公園である。前の広い綺麗な歩道を走っていく。途中から左の公園に入り、公園の中を走る。次の道路を渡ると県立山口博物館があった。
 博物館では特別展示をやっていた。「生命史20億年・人のルーツを探る」である。730円と高い入場料であるが、私と大坪君はすっかり興味を引かれてしまった。須田君は興味がないということなので、私と大坪君だけが入ることにし、須田君は一般展示を見学することになった。
 一般展示は2階で、特別展示は3階であった。須田君と別れ、私と大坪君は3階へ入った。受付の女の人に券を見せると、荷物をお預かりしましょう、と言ってもらえたので、預かってもらうことにした。これで楽にゆっくり見学できる。
 この特別展示は、地球上の最初の生物からの20億年の人の進化をたどるというものである。レプリカもあるものの、貴重と思われる本物の化石類がずらっと並べてある。
 カブトガニの足跡の化石もあった。展示物だと気づかずに私たちが通り過ぎようとしたとき、そばにいた係員の女の人が教えてくれた。注意しないとタダの壁に見える。
 人類が登場してからはビデオでわかりやすく説明してあった。北京原人の頭蓋骨の化石もあった。これはレプリカかも知れない。
 これらの見学は思ったより時間がかかった。荷物を受け取り、今度は2階の常設展を見学に入った。ここでも荷物を預かってくれる。
 ここの常設展は私の感覚ではちょっと変わっていた。一つの博物館の中に、工学、地学、生物、天文学、歴史の展示があるのだ。特別展の方で時間をとりすぎたので、急いでざっと見学に回る。
 私と大坪君が出てきたときには、須田君は待ちくたびれて機嫌が悪かった。これはまずい。急いで出発する。須田君が、私たちを待っている間にこの近辺のことを調べていたので、それに従いまわることにする。
 ザビエル記念聖堂は火事で燃えて再建されていないと言うことなのでパスし、まずは県庁にある藩庁門へ。かつては藩庁の門として維新の志士たちがくぐった門である。そばには県政資料館があったが、時間がないのでこれまたパス。
 次は瑠璃光寺と香山公園へ急ぐ。歩くと音が反響する鶯張りの参道があるというのだ。自転車を止めると参道へ上がってみた。鶯張りの廊下のように床板が鳴くのかと思ったが、そうではなくて石畳の参道を歩く足音が後ろの石の階段で反響するのである。しかしよくもこんなにみごとに反響するものだ。
 あとこの公園には露山堂と枕流亭と五重塔がある。木々の向こうに五重塔が見えたのでそっちへ行ってみた。立派な池を持つ庭園があり、池の向こうに五重塔が見えた。振り返ると須田君がいない。彼は彼で、先に露山堂と枕流亭を見つけてそちらへ行ったらしい。大坪君と交代に五重塔をバックに写真を撮ると、露山堂と枕流亭を探しに行った。
 露山堂の前に須田君の自転車があった。露山堂とは毛利敬親が維新の密談をしたと言われる茶室である。入ってみたが須田君はいない。出てくると、ちょうどどこかから須田君が現れた。隣の枕流亭を見に行っていたらしい。
 枕流亭は木戸孝允と西郷隆盛が薩長連合の約束をした所である。小さな2階屋で1階には維新で活躍した人たちの似顔絵が貼ってあった。
 須田君と合流したところで、もう一度、五重塔へ戻る。改めて写真を撮ったところで、ついに今回のツーリングの散策は終了した。

■湯田温泉

 散策は終わったが、最後に湯田温泉で温泉に入ろうと思っていた。かんぽの宿で入れるようなのだ。しかし時間がもう5時近い。6時には湯田温泉駅に着いておきたい。この残り時間のせわしさに、須田君は温泉に入る気が失せてしまったようだ。とにかく、かんぽの宿まで行ってみようと言うことで走り出した。
 しかし走り出したのは良いが、3人の誰もかんぽの宿の位置を把握していなかった。クネクネと市街地を走る。適当に走っていると、温泉旅館街に出た。
 急いで地図を出して調べてみると行き過ぎていることが分かった。それにもっと北の方であった。地図で道順だけを頭にたたき込むと、それに従って走っていった。
 そこからかんぽの宿にはすぐに着いた。前まで行ってみると、驚くくらい立派できれいな建物だった。一時は入る気が失せていた須田君も、この建物を見て、また入る気が出てきたらしい。しかし入浴だけという利用はなくて、一日利用という形になるらしい。800円と風呂に入るだけにはちょっと高かった。
 ロビーで利用料を払うと奥へ進む。人気があるのか風呂はにぎわっていた。時間がないことだけを大坪君に念を押すと、さっそく服を脱ぎ、温泉に入った。
 湯田温泉は、昔、白狐が湯に浸かって傷を治したという伝説があるそうだ。湯は単純硫化水素泉で、ちょっとぬめりがある透明な湯である。
 浸かるだけじっくり浸かると、身体と頭は軽く洗い、もう一度浸かって外へ出た。なんと大坪君はもう服を着ている。そこまで急ぐことはなかったのに、ちょっと念を押しすぎたようだ。
 しかし急がないといけないのは間違いない。服を着ると急いで外へ出、自転車を取り出すと駅へ向かって走り出す。3人とも帰りの輪行用にとっておいた最後の綺麗な服装になっているので、また汗をかく訳には行かない。暑くならない程度に急いだ。
 ちょっと道が不安だったが、何とか線路を見つけ、線路沿いに湯田温泉駅を見つけた。駅の前には伝説の白狐の像がある。時間は6時ちょっと前。悠々セーフである。
 私たちは3人3様に、自転車をばらし始めた。

■エピローグ 大阪へ帰る

 輪行袋に詰め終えると、小郡までの切符と手回り品切符を買う。小郡からの新幹線の切符はすでに買ってあった。
 待合室には地元の高校生が大勢待っていた。どちらかというと山口駅より湯田温泉駅の方が住宅地が多く人口は多いように見える。
 ホームに入って待っていると、すぐに列車がきた。思ったより混んでいた。須田君とは車両を別れて乗り込んだ。列車が駅に止まるたびに高校生たちが降りたり乗ってきたりする。大人は車で移動し、列車は学生が主な乗客なのかも知れない。
 終点の小郡に着くと乗客がドッと降りた。私たちも輪行袋を抱え、混じって降りる。あれだけの車両によくこれだけ乗っていたな、と思うほどの量だ。
 階段を上がると、またあの長い通路を通って新幹線の乗り場へ向かう。
 私たちの乗る「ひかり」までには、まだ時間があった。夕食の時間なので駅弁を買いたい。前を見ると改札の外に売店が見えた。左の新幹線の改札の中にも売店が見えたが、どうやらそこは弁当は置いていないように見える。で、私は黙って改札を出て、前の売店へ行こうとした。小郡までの切符なので改札を出ることが出来るからだ。
 しかし須田君は事情が分からなかったらしい。なぜ私が出てしまったのかキョトンとしている。彼らがついてこないので、私も新幹線の切符を取り出すと改札の中へ戻った。
 新幹線の改札の中の売店には、やはりお土産ばかりで弁当は売っていなかった。しかしチームメイトの村山君への土産を買うつもりだったので、そこで物色を開始した。大坪君はお土産は買わないようなので、ホームの売店で弁当を売っているかどうかを見てきてくれるように頼んでおいた。
 お土産はなかなか決まらなかった。結局、山口名物のういろうに決めた。家には夏みかんのお菓子を買った。
 大坪君が帰ってきたので聞いてみると、弁当は売っているが売り切れそうだ、ということなので、急いでホームに上がって弁当を買うことにする。
 弁当の売店に行くと、もう3つ同じものはなかった。それぞれバラバラに好きなものを買う。鱒寿司というのが目に付いた。お客の誰かが鱒寿司がどんなものかを尋ねると、「鱒がまるまま一匹入ったお寿司です」と言うことだった。私はその姿を想像して、ちょっと買う気が失せたので普通の弁当にした。しかしなんと私の横の須田君は大胆にも「鱒寿司ください」と言い出した。
 しばらく待つと私たちの乗る「ひかり」が入ってきた。乗り込むと輪行袋をデッキに固定し、席に座る。早速、各自、弁当を開いて食べ始めた。
 横で須田君が「わぁっ」と声をあげた。鱒寿司を開け、鱒が一匹そのまま入っているのを見てびっくりしている。どうやら彼は弁当売りのおばさんの説明は聞いていなかったようだ。
 今回のツーリングはM君が参加できずに3人であった。最近、みんな都合が折り合わず3人以下の少人数でのツーリングばかりである。ツーリングの醍醐味は、走ることそのものや訪れる土地の楽しさはもちろんこと、親しい仲間とワイワイやりながらの旅行にあると思う。
 須田君は5月末にマレーシアに旅立つことになっていた。一緒にツーリングするのもしばらくお預けになる。私の夢は一度で良いからチーム全員でツーリングに出かけることだった。その夢が叶うのは、ずっと先になるのだろうか。
 楽しかったツーリングの帰りの列車の中で、ふっと寂しくなるのは、そんな考えが頭をよぎるからかもしれない。



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