マウンテンバイクの世界を描いた小説、
「輪子 マウンテンバイク物語」
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倉敷・尾道ツーリング


★★★ ツーリングデータ★★★ 

日時:                                
  1996年4月29日(月)〜5月2日(木)                   
アプローチ:                             
  新幹線で輪行(往復とも)                     
コース:                               
  第1日目
    岡山駅出発〜後楽園・岡山城〜児島湖締切堤防〜宇野〜児島〜鷲羽山
    〜瀬戸大橋本州詰め〜下津井(国民年金保養センターしもつい)  
                        走行距離 64km    
  第2日目                             
    しもつい出発〜倉敷市街(美観地区散策)〜玉島〜国民宿舎良寛荘 
                        走行距離 38km    
  第3日目                             
    良寛荘出発〜沙美の浜〜青佐鼻〜笠岡市カブトガニ博物館     
    〜笠岡湾干拓地〜福山市臨海工業地〜鞆の浦〜常石〜松永〜尾道  
    〜玉里渡船〜向島(民宿大前荘)                
                        走行距離 86km    
  第4日目                             
    大前荘出発〜向島一周〜駅前渡船〜尾道駅前〜尾道城〜千光寺   
    〜市街地散策〜尾道大橋〜向島洋らんセンター〜福本渡船     
    〜新尾道駅着                         
                        走行距離 60km    
メンバー(使用MTB/タイヤ):                     
  伊藤一成(Cannondale SUPER V ACTIVE 1000/ブロック2.1)=筆者   
  須田君(PARKPRE Septer Comp/スリック1.5)=脚力最強の男       
  大坪君(DIAMOND BACK 型名不明MTB/スリック1.5)=超のんき者     
  村山君(J.I.PARK SPIRIT/ブロック2.1)=初心者            


★★★ 第1日目 岡山〜下津井・波乱ライド ★★★

■集合、そして新幹線輪行

 かねてから計画を吟味し、待ちに待っていたツーリングの日がやってきた。朝6時の目覚まし時計の音で目を覚ますと急いで準備する。朝食は新幹線の中で食べるつもりだったので、食事はせずに服装を着替え荷物を確認する。
 スーパーVに飛び乗って天王寺駅へ向かう。背中に背負った荷物が重く、いつもは何でもない上町台地の登りが少しつらい。今回はキャリアを使わずに全て背中に背負うことにしていた。ポタリングの途中で駐輪することが多いので、荷物をキャリアに付けるよりディパックで背中に背負う方が便利だったからだ。その分、いつもより荷物は減らしているが、最低限のものだけでもかなり重い。ジャックウルフスキンの自転車用ディパック、フュージョンに形が崩れるほど荷物を詰め込んでいるので、背負いにくいことおびただしい。
 天王寺駅に着くとバイクをオーストリッチの輪行袋に急いで詰め込み、大阪駅までの切符と手回り品切符を購入、改札を抜けると環状線のホームへ降りる。丁度、列車が出たところで、しばらく待たなければならない。新幹線の切符は前の日に大阪駅の自動販売機で買っておいたので、新大阪は連絡改札で乗り継げる。しかし大阪駅で東海道線に乗り換え、新大阪に着いたのは待ち合わせ時間の7時45分の数分前だった。
 新幹線の連絡改札で、京都から東海道線で来た村山君と出会う。一緒に改札を抜け22番ホームへ上がる。荷物を自由席車両の扉の位置におき、他のメンバーがいないか探しに出た。向こうから遅刻常習犯の大坪君がやってきた。なんと珍しい。本人も遅刻しなかったことに感心している。自分で感心してどうする!
 やがて列車が入ってきた。新大阪発博多行きの「のぞみ型ひかり」だ。とりあえず乗り込んで座席と輪行袋の置場所をデッキに確保した。しかし最後の一人、須田君がまだ来ない。最悪、先に行って岡山駅で待つしかないと私は腹を決めた。
 発車の時間の1分前。ホームを歩いてくる須田君を発見。ぎりぎり間にあった。遅刻の理由は当然寝坊。目が覚めたら7時だったらしい。よく間に合ったものだ。とにかく全員無事集合し、「ひかり」は我々を乗せて新大阪駅を発車した。

■ペダルなき戦い

 9時14分、岡山駅到着。ぞろぞろと改札を抜け駅の前へ出る。適当な場所を陣取りバイクを組み始める。
 今回は全員にスタンドの装着を指示していた。駐輪が多いからだ。観光地でスタンド無しのバイクを立てかけて駐輪するのは邪魔になる。1台ならともかく4台も連ねてはなおさらだ。私でさえもフルサスバイクに軽快車用のスタンドを加工して付けていた。しかし聞いてみると案の定、大坪君はスタンドを用意していなかった。しかも彼は荷物をパニアバッグでキャリア積みにしてきていた。他の3人は背中に背負っている。山岳地のハードなオンロードツーリングの時はキャリアを使うが、今まではそんなときでも大坪君はディパックだった。なのに今回に限ってなんでキャリア積みなんだ? 天の邪鬼な奴だ。
 しかも大坪君はつい最近、新車を購入したばかりだった。なのに今回は古いバイクを持ってきていた。私は聞いた。「新しいバイク、なんで使わへんねん?」
「だってもったいない。」
「アホ! ほんなら何のために買うたんや。だいたい、その古い方のバイク、バラバラにしてたんちゃうんか?」
「今朝、5時までかかって組み立てました。そのまま輪行袋に詰めて持ってきた。」
「おいおい、大丈夫か? 走れるんやろな。ペダルとかサドル忘れてたら笑うで。」
 私はどんな近い駅から輪行するときでも、駅までは走って駅前でバラすことにしていた。そうすれば走るために必要な部品やアクセサリーを家に忘れることがないからだった。
 みんなが、ほぼバイクを組み終わり準備できかけたころ、大坪君が騒ぎ始めた。
「ああっ! ペダルがない!」
「うそーっ! よう荷物の中探してみぃ。」
 パニアバックとディパックの中を総ざらいしたが、ペダルは出てこなかった。珍しく遅刻しなかったと思ったら…。遅刻より始末に悪い。
 結局、ペダルがないまま岡山駅を出発したのは予定より30分後のことだった。しかも大坪君は乗れないので、全員押して最初の目的地、後楽園に向かう。しかも自転車屋を探しながらだ。まったく先が思いやられる。
 駅前の商店街の中を探したが自転車屋はなかった。自転車も扱っているダイエーがあったので、大坪君に見に行かせたが結局ペダル単体では売っていなかった。このままでは時間をロスするだけなので、大坪君に先に歩いて後楽園に行かせ、他の3人が自転車屋を探すことにした。大坪君だけ一人別行動させることにものすごく不安を感じたが仕方がない。

■恐怖! 椅子を勧める自転車屋

 見つかる自転車屋はことごとく閉まっていた。一軒、中古自転車屋が開いていたがペダルは置いていなかった。そろそろ大坪君が後楽園につく頃だろうと思い、諦めて後楽園に向かう。途中、偶然前を通った自転車屋が開いていたので、聞いてみると、シティサイクル用のペダルは置いてあるという。かなり年配の自転車屋のおじさんはペダルだけを欲しがることを変に思いながら、どれにするかといろいろなペダルを見せてくれた。SPDクリートとふれあう事を考えるとプラスチック製の方がいいだろうと、私が全面プラスチックのペダルを選ぶと、おじさんが言った。
「あんたらが乗ってる、そんな自転車には、そんなペダルはあわんで。」
「いえ、大丈夫です。これでいいです。」 答える私になおもおじさんは言う。
「こっちの金属製の方がいいんちゃうかいな。」
「いえ、こっちでいいです。」
 くいさがる私に、なぜかおじさんは奥から椅子を持ってきた。しかもせっかく私が選んだペダルを片隅へ片づけてしまった。
「しかし、ペダルがないっちゅうのはなんでかね?」
「うっ!」 それは彼がペダルを忘れたから…。
 言葉に詰まる私たちに、おじさんはしきりに椅子を勧める。暇つぶしの相手をさせられそうな気配に私たちは慌ててペダルをひっつかみ、お金を払って退散した。
 後楽園に慌てて駆けつけたが、大坪君はいない。時間的にはとっくに着いていてもいい頃だ。地図を渡してあったので道には迷わないはずだが…。後楽園正面入り口の鶴見橋で落ち合うことにして、3人で手分けして捜索することにする。
 南の月見橋まで回ってみたが、大坪君は発見できなかった。まずいことになったものだ。いったいどこをほっつき歩いているのか?
 須田君が帰ってきたが見つからないと言う。
 しばらくするとのんきな顔つきで大坪君が橋の向こうからやってきた。
「おい、どこ行っとたんや!」
「途中でコージツがあったからペダルがないかなーと思って寄ってた。そしたらなかったんで、途中の自転車屋で聞いたら3人連れがペダル買ってった、て言うから。」
「アホ! 何の為に先に行かした思てんねん! 第一、だぶって買うたてらどうするつもりなんや!」
 しばらく考えて大坪君は言った。「ああ、そうですね。」
 あ〜あ、頭が痛くなる。

■やっと後楽園、そして岡山城

 買ったペダルを大坪 君のバイクにとりつけ、問題がないことを確認すると駐輪して後楽園に入るこ とにする。入場料、大人一人350円。入り口の前で写真を撮り、中へはい る。
 岡山後楽園は日本三大名園の一つである。私はどちらかというと前にある博物館の方に興味が引かれたが、せっかくここまで来て後楽園に入らないというのもなんなので、こちらに決めたのだった。
 綺麗な芝の生えた庭を中央に、その回りを築山や茶畑、水の流れるせせらぎが取り囲む。向こうに岡山城の天守閣が見える。端には温室があった。時間を予想外にロスしたので、ざっとだけ見て回り出発する。
 岡山城へ行ってみると改修工事中で入ることが出来なかった。改修工事をしていることは知っていたが、入れないとは。大阪城も改修工事をしているが見学は出来るのに。
 仕方がないので周りをぐるっと回り、南端から旭川に沿って南下、次の目的地、瀬戸大橋へ向かう。途中で路面電車を横切り、さらに川沿いを走る。あまりよい景色とは言えないが、街中を走るよりはいい。土手には黄色い花が延々と咲いていて美しい。
 やがて堤防を降り、児島湖締切堤防へ向かう。この堤防は児島湾と児島湖を区切る堤防で、地図で見るとまるで橋のように見える。しかし実際に渡ってみると本当に堤防だ。しかも長い。1キロ以上はゆうにある。

■鷲羽山、瀬戸大橋へ

 児島湖締切堤防を越えたあたりで、そろそろ昼食がとれる店を探す。焼き肉屋があったので入ってみる。昼時のみのサービス定食が700円。みんなこれに決めた。てっきり厨房で焼いた焼き肉定食が出てくるのかと思ったら、ちゃんとテーブルのコンロで焼く形式のものが出てきたので、ちょっとびっくり。これで700円はお得だ。
 お昼を食べるとパワーアップ。峠と言うほどでもない間瀬峠を一気に越え、児島湾側から外海へ出る。天気が悪く曇りがちですっきりしない空模様だが、やはり海岸沿いに走るのは気持ちよい。走りやすくなるのでおのずとスピードも上がる。
 私は今回はレーサーパンツは使わずに、ワコールのCWXのライディングインナーにモンベルのサイクルショーツを組み合わせていた。さらにそのうえにモンベルのトレイルパンツという長ズボンを履いていた。これは裾が絞られているのでペダリングの邪魔にならず、ストレッチ性もあり、汗の乾きも早く肌にくっつかないという良いことずくめの優れ物だ。観光地でうろうろするのにレーパンはちょっと恥ずかしいので、ベストな選択だと思う。しかしさすがに連続で走っていると暑くなってくる。途中でトレイルパンツを脱ぎ、サイクルショーツだけになった。
 宇野の市街でJR宇野線を渡り、フェリー発着所の前を走り抜ける。トンネルを3つほどくぐり、ちょっとした登りを越えると再び海岸沿いになる。瀬戸内海を眺めながら時速27キロ以上で走っていく。
 今回のメンバーのうち、村山君がまだ経験が浅い初心者である。宿泊ツーリングの経験はまだ2回しかない。しかも彼は自分の愛車を購入したばかりで、タイヤ交換する間もなく2.1インチのブロックタイヤを履いたままだ。須田君と大坪君は1.5インチのスリックを履いている。私は交換が面倒だったので2.1のブロックタイヤだ。今回は起伏が少ないのでタイヤには無頓着だった。
 村山君の脚力を測るためにために、スピードをちょっと上げてみた。時速30キロになると、ちょっと厳しそうだ。となるとやはり巡行できるのは27キロ止まりということになる。
 児島の市街地に入り、JR瀬戸大橋線の児島駅の前を通過。突然今まですいていた道が大混雑になった。どうやら左手に競艇場があり、丁度レースが終わったところらしい。駐車場から赤信号なのに飛び出してくる車がいる。警備員3人が身を張って制止しているが、何台かはそれでも出ていこうとする。道路には信号もないところを渡ろうとする人でごった返し、無法地帯と化している。大阪の住之江競艇場もガラが悪いが、ここはそれよりもたちが悪い。
 やっとこさ混雑から抜けると鷲羽山の周りを回る登りにかかる。岬の先端に出ると右手に瀬戸大橋が見えた。下る途中には「下電ホテル」がある。昔は下津井電鉄という鉄道があったそうだ。時間があれば廃線跡でも探したいところだが、そんな時間はなかった。

■国民年金保養センター「しもつい」

 瀬戸大橋の真下の公園で橋を眺め写真を撮る。そろそろ今晩の宿泊地、国民年金保養センター「しもつい」の場所を見極めなければならない。私はなんとなく山の途中にあるような気がしたので、それらしい所を眺めてみると確かに山の途中に何やら建物がある。
 下津井港をやり過ごすと案内板があったので、それに従い進む。途中の分岐に入ったところから、かなりきつい登りとなった。本当にきつい。必死で登り切るとまだ新しく綺麗な建物が現れた。去年に立て直したばかりなのだ。
 ここは須田君の名前で予約してあったので、須田君にチェックインと駐輪の場所を聞いてくるように頼んだが、須田君は暑くて汗が止まらないと行きたがらない。前でウロウロしているより、さっさと入って風呂にでも入った方がいいので、嫌がる須田君を無理にフロントに行かせる。
 暫くすると、須田君が若い女の人と一緒にニコニコしながら出てきた。この現金な態度の変わりようにはみんな呆れてしまった。そのフロントの女の子が教えてくれた駐輪場に止め、全員そろって入る。本当に綺麗な建物だ。結婚式場もあるらしい。
 部屋に入ると私は真っ先に風呂へと向かった。最上階の展望風呂で、下津井の港町や瀬戸大橋が湯船につかりながら見渡せる。
 風呂を上がると、お待ちかねの夕食である。食事は4000円の会席料理にしていた。電話予約だったので、会席なのか懐石なのかハッキリしなかったがどうでもよい。とにかく海の幸たっぷりの豪華な食事だった。ビールを飲みながら無事に1日目が終わったことを祝う。ご飯が欲しかったので、尋ねてみると「蛸飯」があるという。下津井は蛸が名物なので、迷わずそれを頼んだ。
 部屋へ戻り瀬戸大橋の夜景を眺めながらくつろぎ、11時頃、就寝。今日の走行距離は64キロだった。


★★★ 第2日目 倉敷散策 ★★★

■雨予報の中、倉敷へ

 夜に雨が降り、朝目が覚めたときは地面が濡れていた。天気予報は曇り時々雨である。朝食をとると、しぶしぶ雨具を付けて出発の準備を開始した。雨はまだ降っていないが、地面からのハネを避けるためだ。
 チェックアウトし、バイクを引っぱり出すと記念写真。9時過ぎ、瀬戸内海と瀬戸大橋を眺めながら、ダウンヒルを開始した。道は工場地帯のそばを通り北へ向かう。いくぶん地面も乾いてきたので、途中で雨具を脱ぐ。センタースタンドが足に当たるので調整を始めた須田君が声を上げた。なんとセンタースタンドの鋳造の止め金がぽっきりと折れていた。これで須田君もスタンド無しになった訳だ。
 やがて道は水島臨海鉄道のそばを通り、倉敷市街へと曲がっていく。途中で道を切り替え、10時過ぎ、倉敷美観地区へ到着。倉敷川を挟んで白壁の蔵が立ち並ぶ観光のメインストリートだ。まず観光案内所に入って案内書をもらう。
 ここで、またもや大坪君がワイヤーロックを宿に忘れてきたと言い出した。しかし宿まで取りに戻るのも時間がかかる。ペダルにロックと自分の不注意で金がかかることおびただしい。
 おまけにスタンド壊しすっかり弱気になった須田君が、自転車はここに止め徒歩で回ると言い出した。ここに止めると言ってもちゃんとした駐輪場があるわけでもなし、あまり長い間止めていては迷惑だろう。なんとか説き伏せ、再びバイクに乗ってブラブラと出発した。
 写真を撮りながら、ざっと全体を見てまわり、どこかで昼食を食べることにした。「マップルマガジン・倉敷・尾道」に、おいしそうな手打ちうどんの店が載っていたので、そこに決める。天ぷらうどん、肉うどんが600円、おにぎりが2個で200円だった。
 店から出てくると太陽が出てきた。天気予報ははずれた訳だ。陽が当たるととたんに暑くなる。
 向かいのおもちゃ博物館に入り、再びブラブラ。美観地区の裏の商店街にあった自転車屋で大坪君は新しいワイヤーロックを購入、須田君はスタンドを探したが適当な物は置いていなかった。

■倉敷アイビースクエア

 さて、美観地区も大体周り終わったので、「アイビースクエア」に寄ってみた。中にある駐輪場に駐輪、徒歩で回る。「アイビースクエア」は代官所跡であり、繊維メーカー・クラボウの発祥の地である。この中に「児島虎次郎記念館」や「倉紡記念館」、「アイビー学館」などがある。3館共通入場券が600円だったのでそれを買い、見学を始めた。
 まずは倉紡記念館から入った。クラボウの発祥から現在までを詳しくわかりやすく展示してある。私の母も短い間だが、繊維工場で働いていたことがあるので、私もいくらか興味があった。女性労働者募集の為のCM映画はおもしろかった。
 アイビー学館は絵画の歴史を見ることが出来る。遥か過去の洞窟の壁画から近代抽象画までが展示されているのだが、新しい物になるほど理解できない絵になってくるのには参った。
 アイビー学館を出ると中庭を周り、ツタの絡まる煉瓦造りの建物を眺める。最後に児島虎次郎記念館に入る。児島虎次郎は画家であり絵画収集家である。ここでは虎次郎本人の作品とコレクションを見ることが出来る。

■第2の宿、国民宿舎・良寛荘へ

 アイビースクエアを出ると、倉敷川沿いの饅頭屋で柏餅と串団子を食べる。出来たてで大変おいしい。そばに地酒を売っている店があり、そこで試飲してマスカットのお酒「葡萄嬢」を購入した。今晩の宿用であるが、あやしい名前のお酒だ。他に桃のお酒「桃娘」もあった。
 時間も押し迫り、美観地区を出発すると、一旦倉敷駅まで出てそこより西進。倉敷市の西のはずれにある良寛荘へと向かう。
 高梁川を渡ると随分寂しい町並みになる。どうやら今晩の宿の国民宿舎良寛荘も山の上にあるらしい。玉島港から地図を頼りに道を選んで登って行くが、だんだん道は細くなり傾斜もきつくなる。インナー×ローでもきつい。ついに乗車を諦め押しになる。しかし宿らしき建物は見あたらない。良寛和尚ゆかりの地、円通寺に到着。道しるべに良寛荘の文字を発見し、それに従って進むとできて間もない新しい建物が見えた。どうやら本来の道ではない裏側から来てしまったらしい。
 チェックインを済ませ部屋へ入る。この4月に立て直したばかりで、まだ2週間しかたっていない。青い畳のにおいがぷんぷんする。さっそく風呂へ。ここも展望風呂となっており、ふもとの景色が見渡せる。
 夕食は普通のメニューに特別料理を加えていた。とりあえずビールを頼み、食事を始める。おなかが空いていたのと翌日に備えるため、ご飯を頼むと「みなさんもですか?」と驚かれた。一応4人分のご飯をおひつに入れてもらう。「8人分でもいいんやけどな」と内心思ったが、さすがに恥ずかしい。
 村山君が言う。
「始めから飯を食うとはなにごとや。ビールがまずなる。」
「もう、すっかりおっさんやな。自分が若いと思うんやったら喰いながら飲まんかい。若いもんほど、先に飯喰うぞ。喰う子は走るって言うやろ。」と、私が反論する。何しろ翌日は100キロ以上走らねばならない。飯を詰めておかないと途中でスタミナが尽きかねない。他の3人がすさまじい勢いでご飯を食べ始めたので村山君も食べないわけにはいかない。さもないと自分の分がなくなってしまう。結局、おひつごとおかわりしてそれも平らげた。
 部屋へ戻ったが、まだやらねばならないことがあった。倉敷で買ったお酒を飲むための氷か炭酸水がいるのだった。たまっていた仕事のつかれが出てきたのかダウンしてしまった須田君を部屋に残し、ふもとの街まで買いに出た。
 しかし店は少なく、あってもことごとく閉まっており、探し回ったものの見つからない。結局かなり遠くまで足を運び、唯一開いていた酒屋で冷えた自然水とおつまみを買い込んだ。
 部屋へ戻ると「葡萄嬢」の水割りを飲みながら団らん。テレビの天気予報は翌日の降水確率が100%であると告げていた。


★★★ 第3日目 倉敷〜尾道・高速ライド  ★★★

■降るか、降られるか

 3日目は朝から雨が降っていた。ついにやられたか、と4人が一様に思いながらも、とりあえず朝食をすませ荷物をまとめる。2日連続の雨具装着だ。しかし前日は結局雨は降らず、昼には晴れ間も見えた。今日も天気予報がはずれるのを祈るばかりである。降水確率午前100%、午後70%だった。
 みんなが重い気持ちでノロノロと準備していると、なんと雨が止んだ。今がチャンスとばかりにチェックアウトを済ます。
 一晩お世話になった良寛荘の前で記念写真をとった後、出発。4人並んでダウンヒルしていく。ほどなく玉島港のほとりに降り立ち、海沿いに走る。このあたりの道は乾き始めている。
 倉敷から尾道まで真っ直ぐ行けば60キロもない。しかしそれではおもしろくないので、私は海岸沿いを走るように計画を立てていた。あまりにも海岸線が入り組んでいて面倒だったので、距離の計測は「ATLAS MATE Ver.2」を使った。表示された走行距離は110キロである。MTBで走るにはちょっとつらい距離だ。今日は本当にみんなにがんばってもらわなければならない。
 海岸沿いに進むと、「沙美の浜」という標識が現れた。わりと大きな砂浜らしい。ちょっと立ち寄り休憩を入れる。地面はどんどん乾き、もう雨具の必要もなさそうなので雨具を脱いだ。この分だと今日も天気予報ははずれてくれそうだ。

■カブトガニ博物館

 なおも海岸線を西進すると、やがて寄島の干拓地が現れた。昔は道路はもっと内陸を通っていたのだろうが、今は干拓地の中を突っ切る新道が出来ている。干拓地の大きさに感心しつつペダルを回す。走りやすい道で時速27キロコンスタントだが、たまに30キロ近くに上げてみる。ハンドルミラーで確認すると全員ついてくるので、ツーリング3日目にも関わらず全員元気のようだ。
 やがて海岸線は湾の中へと回り込み始める。途中の堤防で一度休憩を入れる。地図にはカブトガニの養殖地と書かれているので、堤防に登り海側を覗いてみるが、丁度満潮らしく砂浜は海水の下だった。
 暫く走ると左手に恐竜の像が幾つかある公園が現れた。なんだろうと疑問に思いながら走っていると、今度はドーム型の変わった建物が現れた。好奇心に負けて立ち止まり調べてみると、「笠岡市カブトガニ博物館」ということらしい。
 入り口までとって返し、みんなと相談した結果、見学することにする。警備員に指示された所に駐輪し、中へ入った。遠足出来ているのだろう、小学生が大勢いる。
 さっき見かけたドーム型の建物が博物館そのものだった。入場料は大人510円で、ちょっと高いと思ったが好奇心にはかなわない。お金を払うと券と一緒に案内とスタンプラリーの台紙をくれた。
 入るとすぐに左手にアメリカカブトガニの水槽があった。生まれてからそんなに日が経っていないカブトガニが年齢別に水槽に飼われている。どうやら1回脱皮するごとに1齢2齢と年齢を数えるらしい。ある水槽の中に逆さまになってもがいているカブトガニがいた。もしやこいつらはひっくり返るとそのまま力つきてオダブツ…、という類の生物ではないだろうかと心配になり、4人とも気になって離れられない。
 必死でもがく彼はなんとか逆さまのまま泳ぎ、元に戻ろうとする。見ているこちらもつい力が入り、応援してしまう。しばらく奮闘の上、なんとかそのカブトガニは元の状態に戻った。しかし、なーんだ、と安心する私たちの前で、どんくさくも再びそいつはひっくり返った。さすがに今度は私たちも呆れてその水槽の前を離れた。
 その他にはカブトガニの生態や利用法の展示などがあった。カブトガニは何億年もの間、ほとんど進化していないそうだ。それを聞いた私たちの感想は、「ずぼらな奴」であった。そんなことカブトガニに言っても仕方ないのだが。
 中央の映写室では遠足の小学生が先生に連れられてカブトガニのビデオを見ている。確かに教育にはいい所だ。入り口でもらったスタンプラリーは子供に飽きさせずに全館を見学させる為のものらしい。しかし私たちもしっかり各ポイントではスタンプを押していた。

■干拓地、そして工業地帯

 結局、カブトガニ博物館に1時間ほどいた。出発したのは11時半だった。なんとまだ20キロほどしか走っていない。はたして夕方までに尾道に着けるのだろうか。
 湾の向こうへ渡るために神島大橋を渡らねばならないが、この橋がやたらと高いところにある。橋への入り口めざして登っていくが、この坂がやたらきつい。地元のおばあさんが荷物を一杯に積んだ自転車を押している。私たちはなんとか乗車したまま漕ぎ上がり、橋を渡った。
 橋を渡った後、湾に沿って右に曲がり一つ目の角を左へ入る。笠岡湾干拓地の東側の入り口の一つだった。道は干拓地の中を真っ直ぐに突っ切っていく。でかい! 本当にでかい! 見渡す限りの大干拓地だった。農地になっているわけではなく草が一面に生い茂り、水はさらさらと音を立てて流れている。真ん中にある丘は昔は島だったのだろう。両側の山のふもとに集落がある。昔は海辺の町だったのだろうが、いまは完全に内陸の町になっている。
 干拓地より上がると日本鋼管の製鉄所の入り口があるが、まだ本格的に稼働しているわけではなさそうで、車通りは少ない。真っ直ぐな道を30キロ以上で飛ばしていく。
 やがて干拓地が終わり、本格的に工業地帯に突入した。うってかわり車が増える。それも重量級の奴だ。必然的に歩道へと押しやられる。こんな所でダンプと張り合って走ったところでなんらメリットはないので、仕方がない。
 そろそろ昼飯時だが周りは工場ばかりでとても食事が出来そうなところはない。入江大橋を渡り福山市湾岸の市街地へ入った。途中に向かい側に中華料理屋があったので、そこで食べることにする。みそラーメンと鮭チャーハンのセットで800円だった。
 福山市街を見学するかみんなに尋ねたが、別によいということなので、先を急ぐことにする。芦田川の河口にかかる河口大橋を渡るとふたたび郊外の雰囲気になる。カブトガニに干拓地、工業地帯と社会科の勉強にはもってこいだ。学校の中で勉強するより、こうやって自転車で走って自分の目で見た方がよっぽど勉強になるのではないだろうか、とも思う。

■鞆の浦の町並み

 道は海岸沿いに戻り、再び美しい景色を取り戻した。と思う間もなくまたもや工場街に突入。今度は町工場だ。ある工場からは鉄くずが飛んできて私の左腕に当たった。
 やっとこさ工場街を抜けると鞆の浦へ到着。私は鞆の浦という地名は知らなかったが、結構有名な所らしい。休憩しているとアイスクリーム売りの車がやってきた。誘惑に負けてブルーベリーのアイスクリームを購入。これは結構おいしかった。サーティーワンよりおいしいんじゃないだろうか。
 後で知ったのだが、鞆の浦の町並みは古くて趣のあるものとして有名らしい。私たちは道に迷い、この町並みの中をさまようことになったが、確かに海辺の町のいい雰囲気が漂ったところだ。途中で写真を撮っている人も見かけた。
 鞆の浦の集落から室浜のトンネルへ向かって登らねばならないが、これがまたきつかった。なんとか登ってトンネルをくぐる。再びダウンヒルだが、直線なのでスピードが出る。時速60キロを軽く越えた。
 山南川に従って道は内陸へ入って行くが、私たちはあくまでも海岸線にこだわり、川を渡って岬を回る。やがて左手に造船所が現れた。ドックには塗装を直したと思われる大きなコンテナ船が入っていた。大きい。船に沿って走ってもなかなか船尾にまでたどり着かない。こんな物が間近で見れるなんて、本当に社会見学に来ているようだ。
 造船所街はなおも続く。霧雨のような雨がぱらついてきた。よく今まで降らずにもったものだ。しかし造船所がなくなるころ、その雨も止んだ。
 一時的に尾道市に入るが、本当の尾道市街はまだ松永湾を挟んだ向こう側だ。浦崎町の集落の中の裏道をクネクネと抜け、松永湾に出る。右半分がアスファルト、左半分がコンクリートを塗った堤防沿いの道路を走っていく。
 再び行政区域は福山市に戻り松永町に入る。工場街を抜けたところで給水の為の休憩をとり、ついに国道2号へと合流した。

■ついに尾道突入

 この時点で私は「ATLAS MATE」の距離測定による110キロが正しくないことを確信していた。どう考えても尾道まで90キロもない。幾つかショートカットしたのは事実だが、それでもはずれすぎだ。今までにも全然はずれていたいたことがあったので信用はしていなかったが、短い目に間違えるより長い目に間違えてくれた方がましはましである。やはり自分の目とカンで測る方が正確なようだ。私は今までにも130キロの行程を1キロほどの誤差で当てたことがあるし、普段でも5%ほどしか距離測定は外さない。
 ともあれ、国道2号をそのまま道なりに進む。国道はJRを渡り、ついに尾道市に突入した。とたんに歩道が狭くなり、走りにくくなる。車道におりて進むが路肩がなく、緊張することおびただしい。やがて前方に尾道大橋が見えてきた。

■遭遇! 女性サイクリスト

 尾道大橋の下をくぐると、左に分岐する道が現れた。今晩の宿は尾道水道を渡った向かい側の向島にある。どこかで渡し船で渡らなければならない。このまま国道2号を行くと海辺から離れるので、海岸沿いの分岐に入る必要がある。
 分岐の入り口で私は立ち止まり、みんなに相談した。もし宿に入って夜何かを飲むのであれば、こちら側で購入しておくのが賢明かも知れない。船で渡ってからでは酒屋がないかも知れないからだった。そのことをみんなに話し始めたとき、大坪君が突然声を上げた。
「あっ! 女の子や!」
 私たちはみんな一斉にそちらを見た。そういえば堤防のそばに何か派手な色の物が置いてあるのに気づいていたが、それはサイドバッグにカバーを掛けた自転車だったのだ。そのバッグに女の子が何かをとりに来たらしい。先を見るともう一人の女の子が堤防の上に座っていた。
 私はその横に赤い桟橋らしい物があるのに気づいた。私が堤防の向こうを覗こうと近づくと、女の子達が私に気づき挨拶してきた。私も挨拶を返す。すると堤防の陰になった向こうにもう一人の女の子がいるのが見えた。3人いたのだった。
 さて、赤い桟橋は確かに渡し船の桟橋のように見えるのだが、どこにもそれらしいことは書かれていない。判断が尽きかねて後ろを見ると、他の3人は女の子に緊張したのか、離れてこちらの様子をうかがっている。オイオイ、なんで一人にするんだよ〜。
 仕方なくみんなのところへ戻り、止まる予定の民宿から送ってきた地図を取り出す。どうやらこれが一番近い渡し船の乗り場に間違いない。私たちがあれこれ悩んでいると、通りかかりの地元のおばさんが、次の船は5時にならないと来ないと教えてくれた。まだ4時過ぎで時間があるので、先に買い出しに行くことにした。女の子達が気になったが、とりあえず来た道の途中にあった酒屋に向かう。
 酒屋に入ると大坪君はしっかり自分の分の缶ビールを握りしめ、須田君は何にしようかと優柔不断ぶりを発揮している。あれやこれやと悩んだ後、シャンペンと白ワイン(マドンナ)を買い込んだ。続いてコンビニへ行き、おつまみと氷を購入、桟橋へ戻った。
 桟橋に戻ると女の子達はおらず、代わりに地元のおじさんとおばさんがひしめいていた。私たちを見つけるとおじさんの一人が話しかけてきた。
「ここに女の子らがおって、つい今、向こうへ行ったで。追いかけたら間に合うで。」
「うっ!」
 それは無理だ。私たちの宿は対岸なのだから。おじさん達の話しによると、女の子達は横浜からきて本州を一周する途中らしい。今朝、倉敷を出て広島へ向かう途中だと言う。それを聞いて須田君は残念がった。
「渡し船を待ってるんやと思てたのに。」
 よく言うよ。私が近づいたときは、後ろで様子をうかがってたくせに。
 とにかく悔やんでもしかたがない。5時になってやってきた渡し船に乗り込んだ。車は乗れない小さな渡船だ。自転車+人で110円である。あとで調べるとこの船は映画「あした」で使われたものだそうだ。

■民宿 大前荘

 桟橋を上がると民宿街である。右へ進むと今晩の宿、大前荘はすぐに見つかった。家の裏の海に面した空き地に駐輪させてもらい、宿へはいる。案内された部屋は玄関すぐのこの民宿で一番大きな部屋だった。窓からは尾道水道を挟んで尾道市街がよく見える。島側の宿にして正解だったようだ。
 4人同時には入れないので、一人ずつ風呂に入る。風呂を上がると食事である。夕食は部屋まで運んでくれた。大坪君は呆れたことにさっき買い込んだ缶ビールを2本とも、すでに飲み干していた。初日にペダルを忘れたことはすっかり記憶にないような様子だ。
 食事は民宿としては良い方で、やはり海の幸が豊富だった。村山君が相変わらず、飯を先に食べると云々と言い出すが、再び「オッサン」の反撃をくらってしまう。
 食事をしている間に大変なことに気がついた。ワインのコルクを抜くためのコルク抜きがないのだった。仕方なく食事の後、探索に出かけることになった。今晩は村山君が宿でダウンしていることになり、残り3人が夜の闇へと出ていった。
 宿は島のはずれにあるのか近くに商店は全然なかった。はるかに歩いた先にあったパン屋で聞くと「コルク抜き」が通じなかった。別の雑貨屋で聞くと「栓抜き」が出てきた。結局、宿の近くにあった営業しているのかどうか分からない酒屋に勇気を出して乗り込み、手に入れることが出来た。
 この夜はシャンペンとワインを飲みながら、夕方に出会った女の子達のことで話が盛り上がったことは言うまでもないであろう。


★★★ 最終日  尾道ポタリング      ★★★

■向島一周

 この日の朝はいい天気だった。最終日にしてやっと訪れた好天だった。窓から見える尾道水道を船が行き交っているのが美しい。
 朝食をいただき、宿の奥さんにお礼を述べると出発する。まず、午前中は向島一周である。セオリーに従って時計周りに回る。すぐに日立造船の造船所にぶつかり、それを避けて山側へ登る。MTBにとっては簡易舗装の楽しい道だ。尾道大橋の下をくぐると、再び下り海辺へ降りる。何度か漁船を溜めた入り江を回り走っていく。以外と広範囲に民家が散らばっており、とんでもないところに新興住宅地があったりする。
 南岸へ出ると瀬戸内の島々が美しい。途中で「向島洋らんセンター」に寄るつもりだったが、分岐を見落とし諦めることになった。
 向島の南西の端には因島大橋がかかっている。尾道大橋と共に、四国と本州をつなぐ西瀬戸自動車道の一部である。橋の下にある公園で休憩しながら眺める。自転車で登れないか調べてみたが、どうやら階段しかないようだった。
 再び島を回り尾道水道に面した北側に帰ってきた。「マップル情報板」にはこの辺りにおいしいアイスキャンデー屋があると書いてあるのだが見つからない。しばらく探し回ったあげく、諦めて渡し船に乗ることにした。尾道駅前に渡る渡船である。
 渡し船を降りたところに四国へ渡る船の船着き場がある。大坪君とはここでお別れすることになった。大坪君は愛媛県出身で、中学校の先生からこのゴールデンウィークはぜひ帰ってこいと呼ばれていたのだった。
 中学校の先生が今頃帰ってこいとは変だ。それはお見合の話に違いないといぶかしがる私たちと別れ、大坪君は去っていった。果たしてあの調子で一人で実家にたどり着けるのであろうか?
 まあ、彼のことだ。歩いてでも家に帰るだろう。

■尾道城、そして千光寺

 大坪君と別れた私たちは千光寺へと上がることになった。千光寺は標高144メートルの千光寺山にある。下の町から見上げるととんでもないところにあるように見える。地図で確認すると、駅前からは尾道城へ向かって登るのがいいように見えた。
 JRを渡ろうと踏切を待っていると、地元の人が話しかけてきた。千光寺へ行くのなら裏を回った方がいいと言う。私は正面からバイクを担いで登るつもりだった。しかしこの人の話を聞いて須田君は担ぎは嫌だと言い出した。地図で見る限り裏の道は楽に登れそうだが、大した眺望も望めない普通の道に見える。結局、あくまでも正面からの担ぎを主張する私と、須田君は別の道を行き、上の尾道城で合流することになった。一人取り残された村山君は私と一緒に担ぎコースに来た。
 最初はきつい目の坂だったが、やがて階段になり担がねばならなくなる。私のスーパーVは担ぎにくいので大変だが、高度を上げるほどに展望が広がり楽しい。途中の見晴らしのいい所で写真を撮る。階段の端にはスロープが作られてあり、担がなくてもよくなった。スロープがあると言うことは、他にも自転車も持ってここまで来る人があるということだろうか?
 やがて尾道城についた。須田君はまだ来ていない。身体が冷え始めた頃、やっと須田君がやってきた。駐輪して尾道城に入ることにする。
 入ってから分かったことだが、山城にしては変な造りの城だと思っていたら、これは本当のお城ではなく、最近観光用に作られたものだそうである。エレベータ付きの大阪城より始末に悪い。中には何やら怪しい展示品が一杯だ。それでも最上階は展望台としては文句無しの眺望がある。有料の展望台と思えばいいだろう。
 そろそろ腹が減ってきた。千光寺に行けば食べるところがあるかも知れないと千光寺へ向かう。千光寺に近づくに連れて高校生やら中学生やら小学生やらが増えてくる。売店はどこも一杯だ。文学の道に従って千光寺へ下っていく。結構な傾斜の階段なので、バイクは担ぐしかない。やっとこさ千光寺の本堂にたどりついた駐輪し本堂に上がってお参りする。この本堂からの眺めも格別だ。
 さて、再びバイクを担いで階段を下り始める。今度は真っ直ぐに市街地へ降りていく。途中、映画「転校生」のロケ地があった。階段を下りきるとJRをくぐり国道2号へと帰りついた。

■ラーメンと歩道橋

 昼食によいところはないかと「マップル情報板」をめくっていると、おいしいという評判のラーメン屋が目に留まった。さっそくそこへ飛んでいくと、なんと休みだった。向かいにあるというアイスクリーム屋も閉まっている。仕方なく尾道市街を走り回り、代わりのラーメン屋を探す。
 ことごとくラーメン屋は閉まっており、結局尾道駅前にあるラーメン屋に入ることになった。呑み処とかねており、正直なところあんまり期待はしていなかったがとりあえず入り、特製ラーメンと餃子を注文する。ラーメンは450円でそんなに高くない。
 しかし予想に反してそこのラーメンはおいしかった。麺は手打ちでかなりコシが強く、スープは純粋な醤油味で透明である。そのくせ、コクがしっかりきいている。いいほうに期待がはずれたので、満足して店をでることができた。
 時間は1時を回っている。昼食後にすることを一つは決めていた。それは映画「転校生」で主人公役の小林聡美がシティサイクルで漕ぎ登ったという歩道橋の坂を、私たちも挑戦することだった。
 その歩道橋まで来て見ると、意外とその坂はきつかった。ギアはどこに入れるかという話になり、さすがにアウター(42T)×トップ(11T)は無理だろうということで、サードギアに入れることになった。
 まず須田君が挑戦。チーム1の脚力の持ち主である。彼のサードギアは15Tだ。1.5のスリックの優位性も手伝ってなんとか登り切った。村山君はさすがにまだ脚力がないのでセンター(32T)×サード(14T)にしたが、それでも途中で力つきてしまった。さて私の出番である。私もサードギア(14T)に入れて挑戦してみた。しかしスタンディングになるとサスが動き出して邪魔をするので漕ぎにくい。おまけにタイヤは2.1のブロックである。ギア比とホイール径のせいもあり、あと1メートルというところで、力つきてしまった

■尾道大橋と洋らんセンター

 まだ帰りの新幹線の時間まで随分時間があるので、尾道大橋を渡ろうということになった。橋へ登る坂をカリカリと登っていく。やがて橋の上に出た。自転車は成りゆきでいくと車道走行になる。橋の上で止まってゆっくり景色でも見たいと思ったがそうもいかない。横には車がビュンビュン走っているのだ。仕方なくそのまま橋を渡りきり、料金所の手前にあったパーキングエリアに入った。
 アイスクリームを食べながら、これからどうするか考える。自由に出来る時間はあと2時間ほどである。あれこれ考えたあげく、午前中に行き損ねた「向島洋らんセンター」に行くことに決めた。
 料金所で自転車通行料10円を料金箱へ入れる。さすがに渡し船より橋のほうが安い。
 この道は途中から自動車専用になるので、手前の信号で一般道へ降りる。島の奥にある洋らんセンターへ向かって走っていく。標識に従っていくとだんだんときつい登りになっていく。ひぃひぃ言いながら登り切った終点が洋らんセンターである。
 400円の入場料を払う。受付の女の子が結構かわいい。ただの受付だけでなく、他の仕事もやりながらのようだ。建物の中は鉢植えのランが一杯だった。黄色いもの、赤いもの、白いもの…。どうやら外の温室で育てた花をここで展示しているらしい。
 建物の向こうには大きな芝生を持った庭園がある。つつじが満開である。
 外へ出ると見学者に開放してあるという温室に入った。私たちが入ると突然ガラガラという音が鳴りだした。何が起こったのかと驚いていると、屋根のガラスが開いていく。どうやら温度が上がり過ぎると自動的に開く仕掛けになっているらしい。しばらく経つと今度は自動的に閉まり始めた。本当に良くできた仕掛けだ。

■そして帰阪

 とうとう帰らねばならない時間がやってきた。洋らんセンターを出ると一路渡し船へ向かう。今度は映画「さびしんぼう」で使われたという福本渡船を使った。この渡船は自転車は70円で他よりも安い。
 渡ると国道2号を西へ少し行き、北の新尾道駅へと向かう。この辺りの町並みは坂と階段の町の尾道のイメージとは違って平坦である。おしゃれな家や店も並んでいる。
 程なく新尾道駅に着いた。おのおのバイクをバラし輪行袋へと詰める。改札へ上がると新大阪行きの列車は今行ったところだった。あと1時間近くもある。ゆっくりとおみやげを物色し、夕食用の駅弁を探す。蛸飯弁当があったので、それに決めた。
 列車の来る時間にあわせてホームに上がる。やがて新大阪行きの列車が入ってきた。輪行袋をデッキに据えると座席に座る。扉が閉まると「こだま」号は私たちを乗せてゆっくりと大阪へ向けて発車した。

マウンテンバイクの部屋

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