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大井川・SLとお茶と温泉ツーリング


 チームメイトの須田君が、仕事でマレーシアに出向することになったので、別れを惜しんで、静岡県の大井川沿いにツーリングに行って来ましたのでレポートします。
 なお、今回は雨に降られることが分かっていたため、雨対策が重要な課題となりました。また、観光地、特にお茶の産地と言うことで、お茶室でお茶をいただいたりするための違和感無い服装と、雨の中のハードな走りを両立させる服装が必要となりました。

========= ツーリングデータ ================
日時:
  1997年3月15日(土)〜3月17日(月)
アプローチ:
  JR新幹線、在来線、大井川鉄道(往路)
  JR新幹線(復路)で輪行
コース:
  第1日目
    am 8:00 新大阪駅発 「こだま号」
    am10:23 掛川駅着
    am10:34 掛川駅発 東海道線各停列車
    am10:48 金谷駅着
    am11:50 金谷駅発 大井川鉄道大井川本線SL急行
    pm 1:07 千頭駅着
    pm 1:15 千頭駅発 大井川鉄道井川線
    pm 2:58 井川駅着
     井川駅〜中部電力井川ダム展示館〜接岨峡温泉
     〜民宿「ニュー久保山」
                        走行距離 11km
  第2日目
        am8:30 民宿「ニュークボヤマ」発
     〜長島ダム〜千頭(SL資料館)〜茶茗館〜塩郷吊り橋
     〜茶里夢の泉〜島田〜大井川橋〜金谷〜「吉川屋旅館」着
                        走行距離 60km
  第3日目
    am9:00 「吉川屋旅館」発
     〜牧ノ原公園〜グリーンピア牧ノ原〜相良〜御前崎
     〜浜岡原子力発電所〜国道150号〜天竜川〜浜松駅
        pm7:17 浜松駅発 「ひかり59号」
    pm8:53 新大阪駅着
                        走行距離 85km

メンバー:
  伊藤一成(筆者)、須田君、村山君、亜希子さん
使用車種:
  マウンテンバイク
  スタンド、泥除け、前照灯、尾灯装着
荷物:
  ディパックにて携帯
===================================


★★★ 第1日目  新幹線からSLまで ★★★


■とりあえず新幹線

 家を出るときには小雨であった。
 いつものように天王寺駅で輪行袋に詰め、環状線、東海道線と乗り継いで新大阪駅へ出る。連絡改札を通ると上を眺める、ホームへ上がる前に自分が乗る「こだま」のホームと編成を確認するためだ。
 なんと16両編成だった。私たちは自由席の禁煙車である1号車に乗るつもりだったので、乗り口までがやたらと遠い。輪行袋を担いでホームを歩いていくと、一番はしのベンチに須田君が座っていた。めずらしく時間通りに来ている。もう一人のメンバー、村山君は京都から乗ってくるはずだった。
 今回は4月から仕事でマレーシアに赴任する須田君の脚力と太い足を惜しんでのツーリングである。しかし、コースは登りの少ない楽な観光コースを選んでいた。
 初代「ひかり」の車両を使ったなんとも古い列車が入ってきた。私たちが降りる掛川駅は「こだま」しか停まらないので仕方がない。しかしデッキが狭いので、輪行袋を置くにもちょっと苦労する。
 最近はツーリングも遠くに行くことが多く、新幹線での輪行が増えてきた。総費用のうちで運賃が増加の一途である。ゴールデンウィークのツーリングは山口県を予定しており、これもまた新幹線なのだ。
 しかし、新幹線はさすがに速く、発車するとすぐに京都である。村山君も無事に乗ってきて3人がそろった。あとはダベリながら掛川駅に着くのを待つばかりだ。
 2時間半ほどで掛川に着いた。切符はチケットショップで「新大阪−掛川」間の新幹線の自由席回数券を買っていたので、私たちの目的地、金谷までは切符を買い足す必要があった。掛川から金谷はたった2駅である。
 切符を買って連絡改札を通り、東海道線のホームへと上がる。新幹線の停車駅の割には小さな駅であった。
 東海道線の各駅停車に乗り込むと、景色を眺めた。やはりお茶畑が多い。静岡なんだなあ、と実感がわいてくる。
 金谷駅に着くと改札を出る。ここで大井川鉄道に乗り換えることになるが、1時間待ちである。
 大井川鉄道では、日本では珍しくなった蒸気機関車が走っており、私たちはそれに乗るつもりだった。シーズンオフには1日に1本しか走っていないので、乗り遅れないよう、わざと早めに着く新幹線を選んでいたのだった。
 実は今回のツーリングの行き先が静岡の大井川沿いになったのには理由がある。
 あるMTB関係のイベントで、一人の女性、亜希子さんと知り合った。のちにその亜希子さんからお手紙が来て、彼女が静岡の金谷町に住んでいることを知り、さらに彼女がSLの旅とツーリングに誘ってくださったのであった。その亜希子さんは2日目にご一緒してくださることになっていた。
 で、ちょっと私も調べてみると大井川沿いには温泉も多くあった。となれば、SLと温泉とお茶を組み合わせたツーリングをしてみよう、と言うことになるのは自然の道理であろう。

■蒸気機関車の旅

 とりあえず大井川鉄道の駅まで行ってみた。以外と乗客は少ない。私はSL待ちの乗客で溢れかえっているかと思っていた。
 須田君が腹が減ったとJRの駅の売店へ何か買いに行った。やがて彼はウナギパイを手に帰ってきた。もうすぐ昼飯なのだが、と思いながらも一枚もらってかじりつく。
 さて、SLはちょうど昼食時を走ることになっている。売店では「SL弁当」なるものが売っていた。私はそれでいいと思ったが、案の定、須田君が「高い」と言いだした。普通の幕の内は850円なのである。せっかくここまで来ているのだから、ちょっとくらい贅沢してもいいんじゃないか、と思ったが、今回は彼が主役なので黙っていた。
 それじゃ、幕の内でもいいか、と思いながら駅の待合いで待っていると、須田君が「SL弁当はお茶付きだ」と言い出した。売店のビラには確かにそう書いてある。私は「どうせ普通のお弁当のお茶だろう」と思って気にもしていなかったが、なんと須田君が一人さっさと売店へ寄っていって、「SL弁当ください」と言いだしたではないか!
 彼のこの豹変ぶりに、後ろで私と村山君は目が点になった。あきれながら、私と村山君も「SL弁当」を買い込んだ。
 そろそろ時間なので、改札を入ることにした。改札で切符を見せながら、手回り品切符を買う。改札を抜けるとすぐ右手にJRのホームから直接入る連絡改札があった。それを見ると須田君がまたボヤきだした。
「ああっ。ここから入ったらJRの手回り品切符でいけたんちゃうん。260円損した!」
 もしそうしていたら、「ホームで1時間待つのはイヤだ」とか「腹が減った」などと言い出していたに違いない。まあ、今回は彼が主役のツーリングなので、一応私は黙っていた。ああ、私って、なんて忍耐強いんだろ。
 すぐにSL列車が電気機関車に引かれて後ろ向きにホームに入ってきた。客車は4両つながれている。客車の前のホームに輪行袋を置くと、カメラを持って一番先頭の機関車を見に行った。
 しかしなんと! ホームは一番前の客車の後ろのデッキまでしか無く、機関車はホームの端からまだ1馬身、いや、1客車分先ではないか! う〜む、よく見えん。
 仕方がないので、とりあえずそのホームの端で写真を撮る。そして客車にとって返し、客車の前でも写真を撮った。私が輪行袋を持ってカメラの前に立ったとき、ちょうど後ろの客車の窓には若い女の子の4人連れがいた。後ろでキャッキャと楽しんでくれるので、一緒に写真に写ってもらう
 さて、発車時間も迫ったので、輪行袋を持って乗り込むことにする。しかし、その古い木製の客車のデッキは狭かった。しかも扉が内側に開くので、デッキに輪行袋を置くと扉が開かなくなる。
 あれやこれやと考えていると、村山君が前の車掌室の前にスペースがあり、そこに置かしてもらったと言う。私も慌てて輪行袋を抱えて前に行き、そこに置かせてもらった。
 やっと落ち着き自分の席に着く。このSLは全車指定席の急行ということになっているので、座りそびれることはない。しかしそのために、切符は予約が必要だ。
 やがてその列車はSLに引かれて走り出した。金谷駅からしばらくは市街地の中である。私たちは早速弁当を広げ始めた。
 その「SL弁当」は高級な幕の内弁当といった感じだった。仕出し弁当を簡単にしたと言った方が近いかもしれない。
 やがて列車は町中を出て、大井川沿いに出る。線路のそばには製茶工場が何軒もあったりして、いかにも静岡らしい。時々汽笛が「ボオーッ!」と響く。
 乗務員がしゃべっているのであろう、スピーカから観光案内が聞こえてくる。家山駅に近づくと線路のわきに桜の木が並んで植わっているのが見えた。まだ、ぽつぽつしか咲いていないが、これが満開になるとさぞすごいだろう。亜希子さんからの手紙にも、この桜のことは書いてあった。本当は桜の季節に来てみたかったのだが、事情が事情なので仕方がない。
 トンネルや鉄橋を渡りSLは走る。時たま車内では、おみやげを売りにくる。そのおみやげの一つに「SL時計」なるものがあり、リアルな汽笛や蒸気の音がする。まさか今まで本物と思って聞いていた汽笛の音は、実はこの時計の音だったんじゃないだろうな、と思ったりもした。
 もう終点に近づいた頃、乗務員服を着たおばあさんがハーモニカを持ってやってきた。お客のリクエストに答えていろいろな曲を吹いてくれる。SLの旅も終わりに近づいているのだが、車内はまだ盛り上がっていた。

■アプト式鉄道の旅

 ついに列車が終点の千頭駅に着いた。他の乗客が降りるのを待ってから輪行袋を抱えて降りる。
 今度は機関車はホームの中にあり、乗客が集まって写真を撮ったり、運転席を見学させたりしてもらっていた。私たちも輪行袋を置くと、急いで写真を撮った
 しかし次に乗る井川線の発車を知らせる放送が聞こえてきた。慌てて切符を買い、ホームへ走る。2両目に乗り込み振り向くと、村山君がいない。隣の車両に乗っているのが見えたが、なんとこの列車は車両を行き来でいるようになっていなかった。村山君は一度ホームへ降りると慌ててこっちの車両へやってきた。
 すぐに列車は発車した。幅のせまい小さなミニ列車である。この列車は1時間40分かけて終点の井川駅まで走るのである。もともと井川ダムを造るための資材運搬用の鉄道だったのを旅客用の路線に変更したものだそうだ。
 やがて大井川は渓谷の雰囲気を帯びてきた。両側が切り立った深い谷だ。
 列車が「いちしろ」の駅に着くと、乗客が一斉に車外へ出ていった。この駅で列車はアプト式の機関車を継ぎ足すのである。どうやらこの乗客の大半は、それを見に来た鉄道ファンらしい。アプト式とは、通常の車輪の他に歯車のような車輪をもち、同様に歯が着いたレールにかみ合わせて急斜面を登る方式である。この大井川鉄道井川線では9%の斜度を登るという。日本でアプト式鉄道が走っているのは、ここだけだそうだ。
 機関車を連結し終わると、列車は出発した。最初はそうでもなかったが、だんだん傾斜がきつくなり、列車が傾いているのが分かる
 右手に建設中の長島ダムの威容が見えてきた。このダムを作るために線路を本来よりも上に移す必要があり、そのためここの傾斜がきつくなったのだそうだ。
 上の駅に着くと、再び機関車を切りはなした。離れた機関車は1両でまた帰っていた。ここからはまた普通に走ることになる。
 ほどなく接岨峡温泉駅についた。何人かの乗客がここで降りた。私たちの今夜の宿もこの接岨峡温泉である。しかし、メインの集落の中ではなく、ちょっとはずれた湯元にあるらしい。私たちは終点の井川駅まで行って、そこから走って降りてくる予定だった。
 駅を出てしばらくすると、車内に案内の放送があった。
「右の川向こうに見える白い建物が接岨峡温泉の湯元です」
 私たちの泊まる宿は、まさしくあれに違いない。1軒だけぽつんとある宿だった。
「おっ! あれや、あれちゃうんか!」
 もちろんその放送で盛り上がったのは車内で私たちだけだった。

■井川ダムにて

 列車が井川駅に着くと列車を降りた。霧雨のような細かい雨が降っている。
 私たちの輪行袋を見ると、年輩の駅員さんが線路を渡って向こうへ行くように言った。改札の外は階段なのだそうだ。私たちはとりあえずトイレに行きたかったのだが、せかされるままに線路を渡り、言われた場所へ行った。
 そこは井川駅の乗客用の駐車場らしい。とにかく自転車を輪行袋から出して組み立てることにする。駅員さんは親切で言ってくれたのだが、トイレに行けないより階段を降りた方がいい、と私たちの意見は一致していた。
 組立終えると、井川ダムまで行ってみることにした。井川ダムのそばには中部電力の展示館もある。
 展示館の駐車場に駐輪すると展示館に入ってみた。電力関係の展示がある無料の見学施設である。
 しばらく見学した後、雨具を着ると出発した。一度、井川湖の奥の方へ登ってから途中の分岐を左へとる。道路工事中の標識があるが、4時半に終わると亜希子さんに聞いていたので、かまわず進む。
 登り切ったあとは、大井川の谷を見ながらくねくねと緩やかに下っていく。対向車もくるので、道は通っているようだ。やがて工事現場を通り過ぎた。どうやら今日は作業はしていないらしい。
 橋を渡って左岸に出てから再び登る。登り切って下ると、私たちの泊まる民宿「ニュー久保山」が現れた。入り口の坂を登って入ると、玄関にたどり着いた。
 雑巾で雨を拭い、ザックカバーを外し、雨具を脱ぐ。一段落着くと宿の奥さんが出てきたので、部屋まで案内してもらった。

■接岨峡温泉の夜

 まずは温泉である。ここは湯元なので当然、温泉であろう。さっそくお風呂に向かう。
 湯船の湯は普通の透明であったが、浸かってみるとヌルヌルする。アルカリ泉らしい。「若返りの湯」と言われているそうだ。
 風呂から上がると次は食事である。山の幸たっぷりのメニューだった。
 イノシシの紙鍋とイノシシの焼き豚(?)。鮎の塩焼きに鹿の肉の刺身があった。私は鹿の肉なんか初めて食べた。マグロみたいに柔らかかった。
 部屋に戻ると布団が敷いてあった。もうする事がないので、ごろごろとTVを見たりする。私は前夜あまり寝られなかったので、うつらうつらしていた。須田君は私が持参したノートパソコンをいじって遊んでいる。
 天気予報は明日もまた天気がよくないことを伝えていた。


★★★ 第2日目  雨の大井川 ★★★


■井川から千頭まで

 朝、6時半には一応目が覚めた。まだ早いのでうつらうつらしていると、インターホンがけたたましく鳴った。
 もう朝食かな、と思って起きあがると、一番近かった村山君が受話器を取った。朝食ではなく、私に電話がかかっているそうだ。
 しばらくすると宿の奥さんがコードレス電話を持ってきた。まだ眠気が残っているのが分かる声で電話に出る。
 受話器から聞こえてきた元気な声は亜希子さんだった。雨を心配して一応電話を掛けてくださったのだ。私たちはまだ外も見ていないので、どんな様子か分からない。窓越しの雰囲気で大降りではなさそうに思えたので、雨具を着て予定通り出発する、とお伝えした。
 起きると朝食をいただく。温泉玉子がついていたのがちょっとうれしかった。
 宿代を払い、一晩のお礼を述べると、雨具を着けた私たちは走り出した。小降りだが長時間走ると結構濡れてしまいそうだ。
 接岨峡温泉の集落までは下りだったが、やがてきつい登りになった。雨具を着けているので運動量が増えるといきなり暑くなる。これから長島ダムの上まで登りが続くのだ。
 レインボーブリッジという井川線の鉄橋があるが、建設中の長島ダムが完成した後は湖上の橋になるという。道からそのレインボーブリッジへの見学路が分かれているが、この雨では立ち寄る気がしない。
 やがて長島ダムの建設現場に出た。前日、アプト式区間から見えたのだが、あらためて見るとやはり大きい。ダムの反対側には井川線のアプト式区間の急傾斜が見えた。乗っているときは「傾いているな」程度しか感じなかったが、こうやって外から見るとかなりの傾斜である。道路なら分かるが、これは確かに普通の鉄道の傾斜ではない。
 再び短く登り返すと平坦から下りになり、ぐんぐん距離は伸びだした。寸又峡への分岐を見送り、「もりのコテージ」という心をくすぐる看板を見送ると、ほどなく人家が多くなり、橋と踏切を渡ると、正面に千頭駅が見えてきた。

■SL資料館

 宿を出たのが8時半。現在9時半。雨のため真っ直ぐ来たので予定より随分早く着いた。亜希子さんとは10時半にこの千頭駅で待ち合わせすることになっていた。
 まだ1時間もあるので、駐輪してどこかで休もうと私は考えた。どこに駐輪しようかと考えてウロウロしていると、突然声を掛けてきた人がいた。
 誰だろう、と振り向くと、なんと亜希子さんだった。車で来たので早く着いたのだそうだ。とりあえず駅の待合室にでも入って落ち着こうと、駅前の広場のすみに駐輪し、千頭駅に入った。
 私たちはしばらくこの辺りをブラブラするつもりであることを亜希子さんに伝えると、すでに走る恰好になっていた彼女は車へ着替えに戻った。その間に私たちは雨具を外し、出来る限り普通の観光客の恰好になるべく努力していた。
 まず駅のとなりにある「SL資料館」に入ることにした。入場料は100円である。
 入るとすぐ左手にここを訪れた有名人のサイン色紙が展示されていた。やはり数少ないSLが走るところとあって、多くの映画やドラマが大井川鉄道で撮影されるそうだ。そのときには地元の方もエキストラで出るという。そういえば、昨夜の宿にも宍戸錠のサイン色紙があった。ここに映画の撮影に来たときに寄ったのかもしれない。
 その反対側の壁には大井川鉄道が保有するSLの写真と説明が乗っていた。大川鉄道は全部で6台の蒸気機関車を保有しているという。私たちが乗ったのは「C11227号」である。「227」は製造番号にあたる連番で最後から2番目のものらしい。「戦場に架ける橋」で有名なあのタイの鉄道のSLも持ってきているという。
 さらに奥にはいるとNゲージのちゃんと走る模型が置いてあった。100円を入れてレバーを回すと模型の列車が走るのである。昔、同じようなものが大阪の電気科学館にもあった。
 さらに奥には大井川鉄道の社史の資料とか、SLの部品や鉄道施設の装置の展示などがあり、結構楽しめた。
 しばらくそこにいると、身体が冷えて寒くなってきたので、そろそろ外に出ることにした。

■そこは観光案内所

 さて、次に「南アルプス昆虫館」という所に寄るつもりだったのだが、どこにあるのか分からない。駅前を左手に歩いてみると、それらしい施設が見えたのでそちらに行ってみた。すると途中に駐輪場があったので、自転車を取りに戻り駐輪場に駐輪しなおすことにする。
 さて、問題の建物に近づいてみたか、どうやら建設中で全然別の建物らしい。
 駅に戻って、駅前にある観光案内所で聞いてみた。そこの女の人は、この建物の3階にあったのだが、去年かおととしに無くなった、と言う。それを聞いて私たちも楽しむあてが無くなってしまった。
 亜希子さんが「白沢温泉・もりの泉」という温泉の場所を聞いた。千頭から上流に戻って分岐を右に行ったところだという。それならさっき私たちが見てきた「もりのコテージ」の看板があったところである。さすがにちょっとそこまで戻るのはつらい。
 喫茶店にでも入ってくつろごうということになり、私たちが出ようとしたとき、案内所の電話がなった。さっきの女の人が答えているのが聞こえる。
「接岨峡温泉でしたら、湯元の『ニュー久保山』という民宿が…」
 それを聞いて、宿の手配をした村山君が、自分が電話を掛けたのはここらしい、言い出した。観光案内所に電話をして宿を紹介してもらったのだが、それはズバリここだった訳だ。世間は狭い。
 さて、外に出ると周りを見回した。まだ雨が降っているので遠くに行きたくはない。上を見ると観光案内所の2階が食事も出来る喫茶店だった。ここに入ることにし、階段を上がる。
 席に着くと、おのおの食事を頼んだ。私と村山君はソバだったが、須田君はいきなりカレーライスを頼んだ。うーむ。女の子がいると食事にも気合いを入れてやがるな。しかしここからは下り基調のはずだが。
 食事を終わっても雨は止みそうにないので、しばらく談笑を続けることにする。
 私は背中に背負って持ってきていたノートパソコンを取り出した。そのパソコンの中には私のホームページのレプリカ(というか原本)と私たちのレースのビデオを編集したムービーファイルが入っている。亜希子さんに、かいつまんでそれらを見ていただいた。

■やっと走り出す

 コーヒーを追加したが、雨は止みそうにないので、しぶしぶ走り出すことにした。また駅の待合室を借りて雨具を着る。亜希子さんは、まだ走らず車で移動するということなので、塩郷というところにある吊り橋で落ち合うことにした。
 駅から右へ回り、線路を右、川を左に見ながら走り出す。すぐの橋で左岸に渡る。この道は主要幹線道路なので道幅も広く、車も多い。
 再び右岸に渡り、緩い坂をジリジリと登っていると、横に1台の車がスピードを落として並んだ。パジェロミニである。運転席を見ると亜希子さんだ。すぐにまた加速すると先に走っていった。
 亜希子さんの車が見えなくなると、道がいきなりダートになった。工事中でアスファルトが無いのである。しかもこの雨で茶色の水たまりになっている。車は走りにくいだけで済むが、私たちは泥を浴びるのでたまらない。前を見ると、一度見えなくなった亜希子さんのパジェロミニもガタガタとダートを走っていた。
 やっと工事区間が終わったが、すでに私たちの背中とお尻には泥の斑点が飛んでいた。今まで水たまりを避けて走っていたのだが、一転して積極的に水たまりにつっこみ、はねた水で泥を落とす計画に切り替える。
 バシャバシャと走っていると、右手にドライブインが見え、その前に亜希子さんが立っているのが見えた。私たちが止まると、こちらへ渡ってきた。
 道の左手、ドライブインの向かいに「茶茗館」という最近できたお茶関係の展示施設があるので寄ってみませんか、と言うことなので、私たちは喜んで入ることにした。

■お茶をいただく

 道路より一段低いところにあるので、スロープを降りて駐輪出来る場所を探す。手洗いの横の目立たない所にとめ、身体とザックの雨を拭った。
 ざっと見渡すと、メインの大きな建物があり、もう一つ土産物屋らしい小さな建物がある。まずはメインの大きな建物に向かった。
 入ると「いらっしゃいませ」と愛想のよい声が迎えてくれる。私たちはお茶セット付きの入館料500円のコースにした。
 「2階からご覧ください」とのことなので、2階に上がる。
 2階にはこの中川根町の歴史や、ここのお茶である「川根茶」の歴史、お茶の成分の解説などが展示してあった。川根茶は天皇杯を初め、数々の賞を取っているそうである。
 1階に降りると、大井川の流れをモチーフに、お茶全体の歴史や解説が展示してあった。奥には影絵作家、藤城清治による中川根町をテーマにした影絵が展示してあり、一風変わった雰囲気を作り出していた。
 さて、全館を見終わると、いよいよお茶をいただくことになる。
 きれいな茶室へと案内されるのであるが、雨で濡れている私たちは恐縮することこの上ない。雨具は脱いでいるものの、何となく湿っぽい。
 きれいな和室に赤い敷物が敷かれており、私たちはそこに並んで座った。やがて着物姿の女の人がお茶と和菓子を運んできた。
 湯飲みとお湯を入れたポット、きゅうす、茶こし、ハート型の小さな器、お茶の小袋、皿にのった羊羹が私たちの前に並べられた。
 女の人がお茶の入れ方を説明してくれる。
 まず、ポットからハート型の器にお湯を9分目ほど入れ、1分ほど待つ。その後、お茶を入れたきゅうすにそのお湯を全て注ぎ、湯飲みに最後の1滴までしぼってお入れください、とのこと。さらに、お茶菓子は1杯目と2杯目の間におあがりください、ということだった。私たちはさっそくその通りにした。
 そうして飲んだお茶は、まずその甘さに驚いた。渋みよりお茶そのものの甘さが勝っていて、とてもマイルドなのだ。「あじわい○○」という飲み物がはやっているが、まさにこれこそ「あじわい」に値する。
 1杯目を飲み終えるとお菓子をいただく。どうやらお茶の羊羹らしいが、これも上品な甘さである。
 お茶を終えたら「水琴窟」をお楽しみください、と聞いていたので、私たちは雨の中、庭に降り立った。実のところ私は「水琴窟」なるものが何かは知らなかった。
 地面に穴が空いており、そこに竹筒を耳に付けて音を聞くのである。カラン、コロン、と心地よい音がする。水の落ちる音が反響して音を立てるらしい。面白がって代わる代わる聞いている私たちを、部屋の縁側に立った亜希子さんが見ていた。
 十分楽しんだあと、今度はそばにある売店に入った。色々なお茶が売っている。自転車でディパックの私たちは大したおみやげを買うことは出来ない。私は川根茶の100gのパックを買った。

■吊り橋でバックに襲われる

 私たちはまた雨の中を出発した。次は予定通り吊り橋である。
 フードを立て、大井川沿いの道路を下流に向かってひた走る。途中、農家の奥さんがやっているという特産品の販売所「四季の里」の前を通り、次の橋を渡って左岸へ出る。
 雨は相変わらず降り続いている。帽子を深くかぶりフードをかけ、ひたすらペダルを回す。突然後ろから村山君が呼んだ。急いでブレーキを掛け振り向くと、上に吊り橋が見えた。そしてその下に亜希子さんがいた。危うく通り過ぎるところだった。
 吊り橋は道路ごと大井川を渡っている。少し戻ったところに上がり口があるというので、戻って上がってみる。
 十津川の谷瀬の吊り橋ほどではないが、立派な吊り橋である。6人以上同時に渡らないようにと書いてある。おのおのがカメラを取り出し、パチパチとやりだした。
 私のカメラで撮ってもらおうと、カメラを村山君に預けて、私と須田君は吊り橋の上に出ていった。そして村山君がまさにカメラを向けて「チーズ」と言おうとしたとき、それは起こった。
 「ポオーッ!」というけたたましい音がしてたので振り向くと、道路と大井川の間にある線路にちょうどSLがやってきたのだった。しかも「バック」で。
 村山君は被写体を私たちからSLへ切り替えた。私と須田君は自分たちもSLと一緒に写るべきか、それとも自分たちでもカメラを出して撮るべきか大慌てしている。
 私たちが吊り橋でおろおろしている間に、バックのSLは行ってしまった。私は村山君に撮れたかどうか聞いた。しかし村山君は答えた。「ピッ、ピッ、ピッとカメラが言ってたぞ」
 どうやらディパックから取り出すときにセルフタイマーが入っていたようだ。結局シャッターはむなしく空を写しただけらしい。吊り橋の上で動揺していた私と須田君ももちろん写していない。
 煙だけが遠くに見え、汽笛だけを残すとバックSLは去っていった。
 「後ろ向きのSLじゃなぁ」と言ってみたが、よけいに空しくなっただけだった。

■茶里夢の泉

 吊り橋から降りてくると、亜希子さんはマウンテンバイクに乗り、すっかり走る体制になっていた。「ここからご一緒させていただきます」とのこと。雨にも関わらず、私たちの心は随分明るくなった。亜希子さんのマシンは、マニトウのサスフォーク付きのアルミポリッシュフレームである。レースにも出ているそうだ。
 さて、今度の目的地は温泉「茶里夢の泉」である。亜希子さんがこの近くの公共施設を私たちが無料で使えるように手配してくださっていたので、私たちはこの温泉を利用することにしたのだった。
 トンネルをくぐり、いったん支流のダムのそばを通ったあと、再び大井川沿いに戻る。「茶里夢の泉」まではそこからすぐだった。
 右手に土のままの広い駐車場があり、車がいっぱい止まっていた。これは混んでいそうである。案の定、須田君がイヤそうな顔をした。
 須田君は、ことあるごとに「温泉、温泉」というほど温泉に執着している。しかし彼は狭かったり、混んでいたり、熱かったりすると、とたんにぶつくさ言い出す。だったらクアハウスに行こうと私が提案すると、今度は「高い」と言う。彼にとっては、きれいで広くてすいていて丁度良い湯加減で、おまけに安くないとダメなのである。そんな都合のよい温泉など滅多にない。しかも気に入った温泉があったとしても、彼はカラスの行水のような早風呂なのだ。だったら近所の銭湯にでも行けばいいと思うのだが…。
 実際、接岨峡温泉に泊まった昨晩も、観光ガイドを見た彼は「寸又峡温泉にすればよかったのに」と言い出した。寸又峡温泉は大井川から支流に入ったところにある温泉地である。実は最初宿を探すとき、亜希子さんに教えていただいた寸又峡温泉のホテルに私は電話を掛けていたのだ。料金を尋ねたら私が立てていた予算をオーバーしていたので、須田君にどうするか聞いた。予想通り彼は「高い」とゴネた。その結果、村山君が観光案内所の紹介で昨夜の宿を申し込んでくれたのである。
 まあ、次に彼のわがままにつきあうのは1年半先になるので、今回は黙って耐えておこう。
 さてさて、ぶつくさ言う須田君を押し切り、駐輪して雨具を外し中に入った。亜希子さんは入らないようなので、私たちだけ失礼してくつろいでくることにした。
 中に入ると屋内に小さな湯船と洗い場、そとに大きな露天風呂があった。しかし混んでいるので入ることが出来ない。屋内に戻り、まずこっちに入った。
 湯は少し濁っており、塩分が高いようだ。しかし接岨峡温泉のようなヌルヌルしたお湯ではなかった。しばらくすると露天風呂もすいたので、そちらへ移った。

■金谷へのナイトラン

 温泉から出てくると、もう夕方近い時間になっていた。売店でソフトクリームを買い、前の畳敷きの休憩所でなめながらくつろいだ。おなかも減ってきたので、大きな饅頭を頬張る。
 地図を広げてこれからのコースを考えた。このまま大井川の左岸を行き、大井川橋で金谷町の方へ渡るコースを私が提案し、亜希子さんの意見を聞いてそれに決定する。
 やはりおなかがすいたのだろう、私たちが雨具を着けている間に亜希子さんも売店で何かを買って来た。ちょっと恥ずかしそうに食べる姿が、キュートだった。
 雨がやっと止んだ。まだ道路からのハネがあるので、雨具は来たまま走ることにする。前照灯とテールランプを用意すると、私たちは今日の最後の走りに出ていった。
 右手に大井川を眺めながらアップダウンを走るうちにだんだんと暗くなってきた。道はほぼ平坦になり、家が多くなってくる。道のわきにある自動販売機の前で止まると休憩することにした。
 私は重量級の荷物を背負っているので腰が痛くなる。「もともと腰が悪いのですか」と亜希子さんが聞いたので、私のディパックを手渡すと、その重さに驚いていた。
 完全に真っ暗になってしまったが、もう目的地は近い。走り出すとすぐに国道1号のバイパスの橋が見えた。下をくぐり市街地を走るとすぐに大井川橋に出る。大井川を渡るその橋は、大変長かった。橋の真ん中辺りでは真っ暗である。
 渡りきってしばらく行ったところで、亜希子さんがどうするかと尋ねた。私たちが今夜泊まる宿は金谷町のどこかにあるビジネス旅館だったので、それを見つけないといけないのだが、私としては先に亜希子さんを先に駅までお送りした方がいいと思っていた。それで、とりあえず大井川鉄道の新金谷駅へ行きましょう、と私は言った。私たちが止まる旅館「吉川屋」も駅の近くにあるような気がしたので、遠回りになるわけでもない。
 新金谷駅にはすぐに着いた。亜希子さんはさっきの吊り橋の下に車を置いたままなので、駅に自転車を置いて大井川鉄道で車を取りに戻って、それから自転車を取りに来て帰宅するということだそうだ。
 私たちは駅にあった周辺の地図で泊まる旅館を探し始めた。するとどこかで亜希子さんが旅館の場所を聞いてきてくださった。駅から200mほどの角にあるという。
 私たちは自転車に乗って探し始めた。しかし見つからない。もう一度駅へとって返すと、なんと駅から50mほどの所に旅館らしき建物がある。暗いのでよく分からないが、ライトで照らすと「吉川屋旅館」と読めた。なんと駅から見えていた建物だったのだ。
 私たちが前で記念写真を撮ろうとワイワイやっていると、宿の奥さんが出てきた。写真を撮る間、待ってもらう。しかし、宿の前で入れ替わり立ち替わり写真を撮るとは変な連中だと思われただろう。
 自転車は玄関のわきに止めていいと言うことなので、3台並べて止める。亜希子さんの自転車もここに置いておくことにした。
 さて、とうとうここで亜希子さんとお別れである。今度は大阪に来てくださいとお誘いし、今日のお礼を述べた。私たちが入らないと、亜希子さんも立ち去りそうにないので、私はみんなを促して中に入った。彼女は駅へ一人向かっていった。

■金谷の夜

 待ちかねていた宿の奥さんに部屋へ案内してもらい、さっそく風呂へ向かった。さっき温泉に入ったが、また同じ服を着て走ったので、身体はまた汚れてしまっている。
 風呂から出れば食事である。ビジネス旅館なので食事は期待できないが、思っていたよりは立派な食事が出た。今晩の宿泊客は私たちだけだそうである。
 食事を終わると、例によってアルコールとおつまみを求めて夜の町に出かけることにした。くる途中にコンビニは見つけていたので、まずはそちらへ。酒屋は閉まっていたが自動販売機があったので、各自適当な飲み物を仕入れた。
 宿へ戻って見ると、亜希子さんの自転車がなかった。私たちが買い物に行っている間に戻ってきたらしい。もう一度お礼を言いたかったのだが、そうしたらまた長引かせることになっていただろう。大阪に帰ったらすぐにお礼の手紙を出すことを誓って、宿に入った。
 部屋へ戻ると飲みながら団らん。しかしいつものパターンで晩御飯を食べ過ぎたので、アルコールもおつまみも進まない。ただテレビを眺めて過ごした。翌日は晴れ、もしくは曇りということだった。


★★★ 第3日目  茶畑から海原まで ★★★


■カーク船長、スポークです

 3日目は、女の子と待ち合わせがあるわけではないので、朝はのんびりだった。
 7時半に食事に降りていき、終わると部屋へ戻ってゴロゴロ。須田君はもう一度本格的に寝そうな気配だった。なにしろ日常では彼の起床は9時過ぎである。
 9時になって、やっと宿を出た。しかし宿の前でバイクの汚れを拭ったり何やかんやで、結局出発したの20分ほどたってからだった。
 まずは金谷駅の方へ西進する。商店街になって、若干の登りだ。金谷駅をすぎると左へ大きく回り、JRの線路を越える。ダラダラと長い坂が続くようで、ここで上着を脱ぐことにした
 もうほぼ登り終えたかと思う頃、右手に牧ノ原公園への分岐が見えた。そちらへ寄ってみることにする。
 眼下の少し先に大井川が悠々とながれ、金谷、島田の市街地が一望できる。昨日渡った大井川橋が左に見えた。しばらくここで景色を眺めたり、写真を撮ったりした
 再び出発して、元の道へ戻る。すぐに登りは終わり、平坦になった。ほとんど曲がっていない真っ直ぐな道で走りやすい、30km/h弱のスピードで駆け抜けていく。両側には延々と茶畑が続いているようだ。
 工業団地のような所を通り、もうすぐ東名高速を越えるな、と思ったとき、後ろで村山君が呼んだ。
 止まって振り向くと、須田君がメカトラブルだと言う。後輪が大きくフレているらしい。スポーク切れかと思いながら戻っていくと、道のわきで須田君が自転車を倒立させて後輪を見ていた。
 最初は分からなかったが、よく見るとスポークが1本折れていた。彼の後輪はパルスターのハブで、ストレートスポークである。そのストレートスポークが途中できれいに折れていた。彼のバカ力の足に耐えられなくなったのであろうか。
 応急処置として、折れたスポークをはずし、他のスポークを締め直してフレをとることにする。しかし折れたスポークは簡単にはずれたが、フレをとるのが大変だった。
 彼が自分で行ったフレ取りのせいか、スポークはかなりきつく張っており、ニップルを回そうとするとかなり重かった。無理に回そうとするとなめてしまう。私の持っていた携帯ツールについているおまけのニップル回しではどうしようもない。
 あれやこれやとやっていたが、結局、どのニップルを締めることもゆるめることも出来なかった。仕方がないので、ブレーキのワイヤーをゆるめてリムがシューにふれないようにして出発することにした。

■グリーンピア牧ノ原

 東名高速を陸橋で渡り、しばらく行けば左手に「グリーンピア牧ノ原」の案内板が見えた。次はここに寄るつもりなのである。矢印に従い、左へ曲がる。
 すぐに左手に駐車場を持った工場らしき建物と、レストランらしい日本風の建物、右手に駐車場と温室が現れた。どうやらここが「グリーンピア牧ノ原」らしい。
 「グリーンピア牧ノ原」は見学できる製茶工場をメインにしたテーマパークということである。見学料は300円。お茶・お菓子付きで800円である。私たちはまたもお茶・お菓子付きにした。その他、茶摘みの季節には、お茶摘みと荒茶づくりの体験が出来るということだ。
 パンフレットとお茶の小袋、お茶の飴などが入った袋をいただき、中に入る。案内役の人が見学しながら説明してくれるという。
 階段を上がった踊り場の窓からは、工場のそばに広がる茶畑を眺めることができる。この牧ノ原では日本中のお茶の1/10。静岡のお茶の1/4を作っているという。牧ノ原では1年に3回、茶の葉を摘むことが出来、それぞれを一番茶、二番茶、三番茶という。一番茶がもっともおいしく値段が高いそうだ。
 廊下を進むと右がガラス張りになっており、荒茶を作る工程が見られるようになっている。大きな機械が並んでおり、その中を摘まれたお茶の葉が流れていく間に揉まれたり乾燥されたりして、荒茶になるのだ。この工程は茶農家の仕事であり、今の時期はお茶摘みをしていないので、この工程は動いていない。
 次は荒茶から製品を作る工程である。この工程は、冷蔵庫に保管してある荒茶を使って行われるので、今も動いている。製茶の出来具合は作業者のカンと経験に頼るので、難しいと言うことだ。
 次は荒茶を保存している冷蔵庫を見学させてもらった。中に入ることは出来ないが、ガラス越しに中を覗くことが出来る。長期保存の氷点下の冷蔵庫と、短期のそんなに低くない冷蔵庫の2つがあり、コンピューターで管理されている。倉庫から出すのも、ボタンによる操作で出てくるらしい。
 お茶摘みのシーズンならばお茶摘みと荒茶づくりの体験ができるのだが、そのためのミニチュアの製茶機械もあった。
 最後の工程は袋詰めである。普通の袋詰めからティーパックにする機械。ミクロン単位の粉末にする機械などが並んでいる。
 私たちにいろいろと説明してくれた人は、もと製茶機械のメーカで働いていたそうである。退職してから、このグリーンピア牧ノ原でつとめるようになったのだそうだ。
 おいしいお茶の入れかたも説明していただいた。よいお茶は少しさまして70〜80度ほどになったお湯で入れるのがいいのだそうだ。沸騰したお湯を注ぐと先に渋みが出てしまうからである。確かに昨日「茶茗館」でお茶をいただいたときも1分ほどおいてから、と説明されていた。家庭で入れる場合、お湯を一度湯飲みに入れ、それからお茶を入れたきゅうすに入れ、それから湯飲みに注ぎきればよいとのこと。湯の温度と量の調節が同時に出来るからだ。
 工場の見学が終わると、向かいにあるお茶の立体温室を見学させてもらった。お茶の苗を植えたプランタが温室の中を回転している。お茶の温室栽培は難しいそうで、ここでも研究中だそうである
 温室の片隅に花が咲いているお茶の木があった。お茶の花とは珍しいと思ったが、お茶は花が咲くとダメなのだそうだ。花を咲かすのは種をつくるためだが、種が必要というのはその木の生命が危ないということであり、さらに種を作るためにそちらに栄養が使われてしまうということだからだ。
 もう一つ、ランの温室があった。ここではお茶の合間にランを作っているという。この温室はそのランの即売所もかねていた。
 一通り、見学が終わったので、お茶をいただくことになった。120年前の民家を移築して和風レストランとして使っているという味処「丸尾原」の奥に、お茶室があった。
 私たちが上がって座ると、抹茶とお饅頭が出てきた。早速いただく。お茶は普通の抹茶に比べて口に残る感じがなく、飲みやすかった。
 お茶を終えると、ついでにそこで食事にしようかと思ったが、団体客が入ったところでこんでいたので、あきらめてみやげものを見に行った。別棟になったちょっとおしゃれな建物がおみやげ屋である。
 入ってみると、いろいろなお茶やお茶を使った食べ物が売っていた。
 普通の煎茶の他に、ここの特製の抹茶「常葉緑(トキワミドリ)」などが売られている。この女優かニュースキャスターみたいな名前のお茶は、ミクロン単位の粉末にされた特別な抹茶である。お茶の葉には栄養が豊富で、普通に飲むと成分が葉に残ってしまうのだが、この茶は粉末ごと飲むことが出来るので無駄がなくてよいのだそうだ。私たちがさっきいただいたのはこの常葉緑らしい。
 お茶を使ったお菓子もあり、お茶のプリン「茶っぷりん」、お茶の饅頭「茶っかり饅頭」、お茶の羊羹「茶っかり羊羹」の他に、森永製菓との共同で作ったという「わさび茶漬け味おっとっと」、「抹茶ミルクハイソフト」があった。「茶っかりまんじゅう」は、さっきいただいたお茶菓子である。
 部屋の真ん中では「抹茶のスフレ」と「抹茶ソフトクリーム」が売っていた。日本で初めてというセイロン紅茶のソフトクリームもあった。私と村山君は「抹茶スフレ」を食べた。スフレに抹茶というのは変な気がしたが、これはおいしかった。さらに須田君は「抹茶ソフト」を、私と村山君は抹茶と紅茶の「ミックスソフト」を食べた。おいしくて紅茶味がなんとも風変わりなソフトクリームだった。
 いろいろとおみやげを買いたいところであるが、すでに今の荷物だけで私のディパックは溢れている。それでも、「常葉緑」と「茶っぷりん」を買い込んだ。

■相良から御前崎へ

 すでに昼の1時を回っていた。急がないといけない。自転車にまたがるとグリーンピア牧ノ原を出発した。
 茶畑の中を下り、萩間川沿いに出る。向かい風なのでペダルが重い。
 やがて住宅が増えてきた。国道150号に出れば、その向こうは海岸のはずだ。松林が見える。国道を渡り、そっちへ行ってみた。防砂丘を登ると目の前に広い砂浜が現れた。相良海水浴場である。しばらく休み、写真を撮った
 さて、今度は国道150号沿いに御前崎を目指す。今日は平日なので車が多い。しかも向かい風だ。スピードが上がらない。やがて国道は右へ曲がるのが、私たちはそのまま直進だ。ずっと向かい風で疲れたので、途中で須田君に先頭を代わってもらう。
 だんだんとあたりはリゾート地の雰囲気を帯びてきた。道が右へ曲がり、大きなホテルがならぶ先に御前崎の灯台があった。夏ならばもっとにぎわっているのだろうが、今の季節では人出も少ない。
 灯台の下にある小さな食堂で食事をとることにし、駐輪すると中へ入った。それぞれがラーメンと何か一品を頼んだ。
 時間は午後3時前だが、まだ30キロほどしか走っていない。浜松で夜の7時過ぎの新幹線に乗るつもりだったが、浜松までまだ50キロはあるだろう。時間までにたどり着けるかどうか、心配になってきた。
 食事をすますと、灯台まで登ってみた。しかし、灯台に入るのは躊躇した。時間も厳しいが、灯台の中の階段を登るのがおっくうだったのだ。しかも灯台のそばには新しい民家が並んでいたりして、なんとなく気分がそがれる。結局入らずに、途中の階段から写真だけ撮ると、出発することにした。時間は3時半である。
 御前崎を巡る自転車コースがあり、その標識が出ている。要するに歩道が自転車コースになっているのだが、所々大量に砂が溜まっていて走行不能になる。
 最初、道路の左に海が見えていたが、やがて遠くなって見えなくなってしまった。

■悪夢の国道150号

 道が行き止まりになるので、右に曲がって、国道150号へ戻った。車通りの多い国道を西へ向かう。次の目的地は浜岡原子力発電所の浜岡原子力館であった。見学できる時間があるかどうか難しいところだったが、とりあえず行ってみることにする。
 左への標識があったので、そちらへ曲がった。しかし! なんと休館日だった。毎月第三月曜は休館日ということだ。
 国道150号へとって返し、先を急ぐことにする。ところどころの小さなアップダウンが以外とこたえる。ハイスピード走行なので、疲労も早くたまり、喉も乾く。吸水のために止まったところで、どうするかを考えることにした。
 遠州灘に望むこのあたりは砂丘が多い。本当はそれを見学しながらのんびりするつもりだった。しかし、朝の出発が遅かったこと、予想外のメカトラブル、グリーンピア牧ノ原に長居したことで、おもいっきり遅れている。当初の予定通り浜松へ行ったとしても、真っ直ぐ走るだけになりそうだ。
 須田君は、掛川に出てそこからJRに乗りたい、と言い出した。女の子がいないと、まったく走る気も湧かないようだ。私は地形図を見たが、掛川は内陸である。結構距離があり、途中の道はアップダウンがありそうだった。JRは西に行くにつれて南下して近づいてくるので、いけるところまでこのまま走り、時間的にやばくなったら内陸のJRの最寄り駅へ向かうのが妥当ではないかと思えた。地図を見せると須田君は納得した。
 再び西へ向けて走り出した。歩道のないところが多いので、車道を走るのだが、平日と言うことで車が多い。しかも大型のトラックやダンプがやたら多いのだ。緊張すること、この上ない。
 「南遠大砂丘」の案内標識を横目で見ながら走り抜ける。時々、小さなドライブインやレストランがあるが、大抵閉まっていた。殺風景というほどでもないが、走っていて楽しい風景でもない。
 西へ行くに従って人家も多くなってきた。太田川を渡ってしばらくすると磐田市に入る。ジュピロ磐田のホームタウンである。もう市街地の道となり、人も多くなる。途中のコンビニでトイレを借り、食料を補給するとしばらく休憩をとった。
 とうとう天竜川までやってきた。橋を渡ったところで一度止まる。日が沈みかけ、暗くなってきたので、夜間走行の準備をするためだ。ライトを取り付けテールランプを灯した。ディパックにも点滅灯を取り付ける。大型車が多いのでテールランプよりこちらの方がアッピールするかもしれない。天竜川をバックに写真を撮ると、あと10キロをきった浜松に向けて出発した。

■浜松到着

 天竜川河口両側には、海岸沿いに自転車道があると事前に調べて分かっていた。だから予定ではそこを走るつもりだったのだが、まったく時間がない。真っ直ぐ浜松駅へ向かう。
 国道1号と交差し、さらに進む。私たちが走る国道150号は2車線の狭い道である。歩道もろくにない。途中交差する道路は広い道路ばかりである。道を間違えたのではないかと思えた頃、ゴーッという音が聞こえた。見上げると新幹線の高架であった。あとはこの高架にそって走ればいいということになる。
 目の前に新しい高くて立派なビルが見えてきた。「アクトシティ」である。下を通りすぎ信号を渡ると、浜松駅前に到着した。
 時間は午後6時半を少し回ったところ。私たちの列車は7時17分だ。輪行するには十分な時間があった。なのに今まで急いで走ってきた慣性か、それともいつもの習慣か、各自が手早く輪行袋に詰め込む。詰め終わると最後の写真を撮った
 夕食をどうするかで、ちょっと話し合った。列車の中で駅弁を食べるのであるが、それを駅で買ってから乗るか、列車の中で買うかである。浜松というとやはり「うなぎ弁当」であろう。昔、新幹線の中の売店で「うなぎ弁当」を買ったことがあるのだが、その時は弁当を電子レンジで暖めてくれ、それが大変おいしかった。それで私は「暖かい弁当が食べたいな」と言った。すると須田君は「そんな贅沢な」と言い出した。
 とにかくコンコースに入り、新幹線の改札の近くに輪行袋を置く。手回り品切符を買いに窓口へ行こうとすると、須田君と村山君が私にお金を渡したので、私がまとめて買うことになった。
 手回り品切符を買って帰ってくると、須田君と村山君がいない。トイレか売店に行ったのだろうと思い、私も飲み物でも買っておくか、と売店を探した。するとちょうど須田君が弁当を買っているところだった。しかし、その弁当を見て私はまたもや目が点になった。その弁当は「暖める燃料付きのうなぎ弁当」だったのだ!
 後ろで見ていた村山君の証言によると、おもむろに売店に近づき「これ下さい」と言い出したそうである。人に「贅沢な」と言っておきながら、自分もしっかり暖かい弁当(今は冷たいのだが)を買っているのである。いや、せっかく売っているのだから、それを買うのはかまわないのだが、人に手回り品切符を買いに行かせながら、そのスキにこそっと弁当を買っているというその行動に、私は彼の本性をかいま見た気がした。
 村山君と私も「燃料付きうなぎ弁当」を彼に続いて慌てて買い込んだ。その弁当は私で最後であった。もし私が買いそびれたら、はたしてどうしてやったものだったろうか。次に彼の本性をかいまみるのが1年半後であるとしても、やはりとんでもないやつだと思ってしまったのは許されないことではあるまい。

■エピローグ

 飲み物を買い、トイレを済ませるとホームへ上がった。車両番号を確認し、乗車口に並ぶ。
 ほどなく入ってきた「ひかり」に乗り込むと、輪行袋をデッキに固定して、自分の席に座った。
 須田君は真っ先に弁当を開けると説明も読まずに加熱開始のひもをひっぱった。私と村山君が「召し上がり方」を読むと、先にタレを入れてから暖めるように書いてある。須田君は慌てすぎたようだ。
 今回は一応須田君の歓送会を兼ねたツーリングということだったが、彼は最初から最後まで、私たちを翻弄してくれた主役だった。
 早々と食べ始めた須田君を横目に見ながら、私と村山君も弁当を暖め始めた。そして駅で買った缶入りの静岡のお茶を飲みながら、最後の静岡の味を楽しんでいた。



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