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Mighty-Duro 24時間耐久レース

in 松原湖 '95


1995年9月15日〜17日


 15日。前の夜より降り続いた雨は止まず、小雨の中の予選となった。今は小雨とはいえ、降り続いた雨に、当然コースはマッディになっていた。
 予選は去年と同じくスターティンググリッドを決めるために行われる。今年はピットの西側からマレットゴルフ場までの間の西コースが使われた。データキャリアはバイクにつけるのではなく、ライダーの腕につける方式に変更され、計測ポイントでの一時停止をしなくてもよくなった。
 夜の前夜祭には雨は止んだものの、気温は低く湿度も高いため、路面のコンディションは変わらない。前夜祭の中で予選の上位12チームでさらに決勝戦が行われた。この12チームを先頭集団とするスターティンググリッドを形成、残りのチームで後方の集団を作るのであるる。
 テントに当たる雨音を聞きながら、一夜を過ごした。台風12号の接近をラジオが知らせる。朝方は小雨で、期待がもてそうな空模様の中、試走に出る。
 ピット位置は去年と同じだが、ピットの中を通るコースのみになり、さらに逆周りになっている。ピットの中を南に登り、ピットの出口から西へ登る。だいたいは乗車可能だが、最高点手前が激坂で担ぎになる。登り切るとすぐにエイドステーションで、過ぎると去年と同様草の中のシングルトラックダウンヒル。東へ戻ると大会本部(キャンプ場の管理所)の近くに計測所がある。去年の水没を警戒してか、少し盛り上がったところに設けている。計測所を折り返し、また西のエイドステーションまでシングルトラックの登りが続く。エイドステーションで折り返し再び東へ下る。ピットそばの舗装路を北へ走り、左へ折れるとグランドに出る。
 グランドには今年は何もなく、ただ文字を型どったシケインのみ。グランドの西側から森の中へ入る。土の柔らかい森の中を北へ下って行く。スイッチバックを繰り返し、急な落ち込みを抜け、再びスイッチバック。最下点のダブルトラックを進むとエイドステーション。ここより折り返し登る。しばらく舗装路を登り、やがてダート。しばらくシングルトラックを走り、グランドへ戻る。グランドから林の中へ入り、ピットへと戻る。
 コース全体としては去年より短くなり、東側の林道、南側のシングルトラック、舗装路はなくなった。
 16日、スタート30分前より雨が激しくなり、スタートの時はすでに水たまりがあちこちにできていた。朝10時にレースは始まった。去年より若干少ない62チームのエントリーである。キャンプ場中央の舗装路をスターティンググリッドとして、西進して折り返し、コースの途中より入る。
 2周回目、私がコースに出たときには、すでに泥がたまり轍が深くできていた。スタートして2時間後、早くも北のコースがカットされた。7周回目、再び私がコースに出たときは、泥に前後輪が沈み込みペダリングできないところや、延々とコースが細長い水たまりとなっているところが出てきた。ピット直前の一番深い水たまりは膝ぐらいまであった(あとでここはカットされた)。レースは「ガタリンピック」の様相を帯びてきた。1周ごとにバイクの泥を落とさないと、ホイールがロックされてしまう。ライダーもピットで休むためには泥を落とさなければならない。バケツにためた雨水をぶっかけあう。
 レース開始6時間後、12周回目に私がコースに出たとき、長野県下に発令された「大雨」「洪水」「暴風」警報のため、ついにレースは6時間で中止となった。最後に計測所を通過した後、コース外へ出される。
 暫定結果は発表されたが、閉会式も行われない寂しい幕切れとなった。私たちのチーム「Ride Gear」の暫定順位は29位であった。台風による強風を懸念した私たちは、ピット撤収を開始し松原湖をあとに、小諸市内のホテルへと退避した。
 翌日17日も台風の風雨が続き、帰阪をあきらめ台風が過ぎたら観光でもしようと昼過ぎに美ケ原へ移動。美ケ原高原荘に宿泊を決める
 18日、台風一過の晴天となった。私たちは美ケ原の素晴らしい風景を堪能した後、ビーナスラインを諏訪まで走り、帰阪した。

マウンテンバイクの部屋

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