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5th Japan MTB Western Riding Race

in HAKUBA IWATAKE


初めてのレースは泥沼だった
  〜マウンテンバイクレース初参戦記〜

 「レースに出よう!」
 そんな話を私が持ち出したのは、4月も始まって随分たった頃だった。長野県の岩岳スキー場で5月3日から5日にかけて、日本で屈指の規模のマウンテンバイクレースが開催される。大胆不敵にもそれに出場しようというのだ。
 私の突然の申し出に、チームメイトはためらった。私達の作るマウンテンバイクサークル「Ride Gear」は、この2月に結成したばかりの会社非公認サークルである。メンバーは私と松実選手、大坪選手の3人。普段の活動はツーリングがメインで、レース出場は計画には入っていなかった。もちろん3人ともレース経験などない。
 松実、大坪両選手は出場を決意した。しかし、レースまでに1ヶ月もない。あわただしい準備と共に、私達のレース初体験物語はスタートしたのだった。
 私達の計画はいささかハードなものだった。往復とも夜行列車(寝台ではない)。現地に3日滞在し、その間はテント泊まりで食事は自炊。キャンプなので、当然荷物が多い。ちなみに私一人分の荷物(自転車を含む)でさえ、45キロを越える壮絶なものだった。これらを持ってJRで移動したのである。
 不運にも夜行列車は混んでいた。一睡もできぬまま、信濃森上駅に到着。駅前で自転車を組み立て、岩岳スキー場へ向かう。途中から見える白馬の山々が実に美しい。
 キャンプ場に着くと、早速テントを張る。テントの前にはタープを張り、ここを調理場兼食堂とした。
 正午に大会会場へ赴き、受け付けを済ましてゼッケンをもらう。私達の出るレースは、クロスカントリーのビギナークラスで、3日目の朝一番に始まる。初日は公開トレーニングに参加するのみであった。トレーニングと言っても、各自がコースを勝手に走るだけである。私達もみんなに混じってコースを走り始めた。
 スタンド前をスタートすると、最初はフラットな土の路面が続き、やがて草地となり緩い登りとなる。急カーブで右に折れてから一旦下り、スキー場の管理道に合流したところから、急な登りが始まる。右に左に折れながら、一気に100メートル以上高さを稼ぐ。登り切ったか、と思ったころ、ダメ押しの急坂が現れた。乗ったまま登ろうとしたら前輪が浮き上がってしまったので、諦めて押して上がる。
 登りきって、やっと下りだ、と思って先を見たら、眼が点になるような光景があった。スキーの中級者クラスのゲレンデ。ちょうどその斜面を斜滑降するようにコースが作られているのである。しかもその幅はタイヤ1本分しかない。道というより、ただのへこみである。さすがにここを全員が乗って行けるはずもなく、せっかくの下りを押して通っている人がかなりいる。私は何とか乗れたが、前の人に詰まったり、大きなギャップがあったりしてときどき降りて止まることになる。
 ゲレンデを抜けると、凸凹はあるが幅のあるコースがしばらく続き、短い登りのあと右に折れて林の中に入っていく。その林の入り口で人が溜まっている。何だろう、と近寄ってみると、原因が分かった。コースは林の中につけられているのであるが、それがかなりの急な下りで、おまけに曲がりくねり、さらに木の根を乗り越えて続いている。ここを乗って降りられる人は、ごく限られるだろう。私も押して降りることにする。
 林を抜けるとコースは再びゲレンデに戻る。幅があるので、スピードの出るダウンヒルコースとなり、最後の急坂を駆け降りるとスタンド前に戻ってくる。
 全体を見ると、さすが本場USAをめざして作られたコースだけあって、実にテクニカルなコースだった。1周だけでは不安なので2周目を回ることにする。今度はタイムを計ってみた。1周目では降りて通ったギャップが乗ったまま越えられるようになり、林の中の道も半分ほどは乗って降りられるようになった。その結果、21分で1周することができた。
 この結果に気をよくして、3周目に挑戦したのがまずかった。大胆にも林の中の下りを乗車して突破を試みたのである。最初は急な下りの左直角タイトコーナー。リアタイアをドリフトさせ方向転換、同じように右コーナーもクリア。押して通っている人達が道を譲ってくれる。その人達の横を抜けたとき、それは起こった。傾斜が突然急になり、おまけに木の根が…。
 次の瞬間、私の身体は宙を舞っていた。その横をバイクが半回転して地面に落ちるのが見えた。前転したのである。起き上がり身体を調べる。頭や背中は何ともなかったが、左手を見ると薬指がひん曲がっていた。指関節脱臼だ。ヘルメットもプロテクタもパッド入りグローブさえも、関節技には無力だったようだ。慌てて右手で関節をはめる
 スタンド前に戻ってから、救急センターへ行き、湿布を巻いてもらった。この頃からズキズキうづき始め、夜になると紫色に腫れあがってきた。今までに山の中で2度ほど前転したことがあるが、怪我をしたことはなかった。トレーニングで怪我をするとは自分がなさけなかった。
 2日目は、一日中フリーだったので、ダウンヒルレースを観戦することにした。晴天で地面が乾燥しているためか、コースアウトする選手が続出する。女子のチャンピオンクラスでは、ある女性選手が転倒し、肋骨骨折の大事故となった。
 その夜、デュアルスラロームレースの途中から雨が降り始める。観戦を途中で諦めてテントに帰ってみると、タープに雨が溜まり、今にも倒れそうになっていた。慌てて、近くにあった丸太を真ん中に立て、補強する
 雨は翌朝まで降り続いた。雨の中、会場へ行くと、レースは予定どおり行うとのこと。みなぎる緊張と共に、スタートラインに並ぶ。ビギナークラスエントリー者252名、来ていない人もいるだろうが、かなりの人数が一斉に走るわけである。ここで主催者側から突然の発表があった。男子ビギナーは2周だというのである。私達はてっきり1周だと思っていた。「聞いてないよぉ〜」と言ったところで仕方がない。カウントダウンの終了とともにレースは始まった。
 地面は一晩降り続いた雨で泥沼状態。スタートと同時に泥が飛んでくる。「泥で汚れるなぁ」と思っていただけの私達は甘かった。本当の泥の恐ろしさはそんなものではなかったのだ。まず、ペダルが重い。登りは始めから押すことにする。急な坂になると、泥で足が滑って登れない。念のためシューズにスパイクを打ってきたのだが、これが全然効かない。
 ゲレンデを斜滑走する所などは、乗れずに押すものだから、長い列ができている。前と後ろを見比べると、ほぼ真ん中あたりの順位にいるようだ。
 例の林もやはり押して抜ける。この林の中がやたら滑る。やっとの思いで抜け、あとはスタンド前までなんとか乗って下る。スタンド前まで帰ってくると、「後ろから(追いかけて)来てるぞーっ!」と観客のおじさんの声。ちなみに、大坪選手はスタンド前で女の子に「がんばってぇ〜!」と、声援を送ってもらったそうである。うらやましいぞぉ。
 スタンド前を通過した時、「120人目の選手が通過しました」と、女性スタッフの声。120位か、やっぱり真ん中だ。と、思っていたら、「選手の皆さんは、おもいっきり泥んこ遊びができて楽しそうですねぇ〜」と男性アナウンサー。「楽しいわけねえだろー!」と心の中で叫びながら2周目に突入していった。このとき、松実選手と大坪選手は3分の1周ほど私の後ろの所を走っていたそうである。
 最後の激坂の登りで、ついに泥が詰まって前輪が回らなくなった。コースわきによけて泥を落とす。痛めた左手が使えず右手だけなので、なかなか取れない。悪戦苦闘していると、雑誌の記者に写真を撮られてしまった。
 なんとか登り切ったが、前輪が回らないため走れない。数メートル進んでは泥を落とすということを繰り返す。200メートル進むのに10分以上かかった。サスペンションを付けてきたのが災いした。タイヤクリアランスがないために、泥詰りしやすいのだ。
 やがてとうとう、後輪まで回らなくなった。「リタイヤ」。不吉な言葉が頭の中をよぎる。何とか後輪だけ回し、バイクを引きずりながら例の林の所まで来た。へとへとになりながら林の中を下っていると、大坪選手が後ろからやってきた。「前輪が全然回らへんぞ」と言うと、「ぼくは後輪が回りません」との返事。まだ後輪ならいいよ。ペダル踏めば回るだろ。前輪が重いと前につんのめって走れないんだ。下りならなおさらだ。大坪選手は器用にバイクを引きずりながら、私を追い抜いていった。ああ、これはもう自転車のレースではない。ほとんど自分の足で走ってるじゃないか。
 さて、泥まみれになった私達のゴールはどうなったか?
 皆さんの想像におまかせします。ひたすら、今度は泥のないレースを走りたい。そう思った私達であった。

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