- 11月2〜4日にかけて、岐阜県の高山市から白川郷、富山県の五箇山、石川県の金沢市にかけてツーリングしましたので、遅くなりましたがレポートします。
========= ツーリングデータ ================
日時:
1996年11月2日(土)〜11月4日(月)
アプローチ:
JR急行(往路)、特急(復路)で輪行
コース:(カッコ内は標高)
第1日目
am8:02 大阪駅発 急行「たかやま」
pm1:06 高山駅(580m)着
国分寺〜飛騨の里(640m)〜高山市郷土資料館(580m)
〜民宿「三井」(650m)
走行距離 8km
第2日目
am8:30 民宿「三井」発
旧城下町散策(580m)〜高山陣屋〜朝市〜三日町(620m)〜せせらぎ街道
〜巣野俣(880m)〜林道小鳥巣野俣線(ピーク1180m)〜松ノ木峠(1085m)
〜六厩(1000m)〜新軽岡峠(1140m)〜R158〜岩瀬橋(771m)〜御母衣ダム
〜平瀬温泉(610m)〜白川郷荻町(490m)〜道の駅「上平」(350m)
〜五箇山・下梨(280m)〜相倉〜民宿「矢次」(410m)
走行距離 127km
第3日目
am8:30 民宿「矢次」発
相倉合掌集落散策〜梨谷トンネル(560m)〜旧R304(ピーク700m)
〜福光〜兼六園〜ルネス金沢〜金沢駅
pm5:45 金沢駅発 特急「雷鳥92号」
pm8:39 大阪駅着
走行距離 70km
メンバー:
伊藤一成(筆者)、須田 君
使用車種:
マウンテンバイク(太さ1.5以下の細身のタイヤを装着)
スタンド、泥除け、前照灯、尾灯装着
荷物:
ディパックにて携帯
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- ★★★ プロローグ 突然の計画に宿がとれない!? ★★★
- ■それは突然始まった
- 3連休にツーリングに行く。この計画はまったく突然に湧き上がった。
- チームメイトの須田君は、このところ自分とは直接関係のない業務上のトラブルに振り回されていた。10月末にあった「丹後半島OFF」にも突然の出張で不参加を余儀なくされていたのだった。
- で、どうやら11月はじめの3連休は大丈夫のようなので、急きょツーリングに行くことにしたのだった。
- しかし、その時点で3連休当日まで1週間もなかった。急いで行き先を決め、プランを立てなければならない。須田君の希望は、「紀伊半島温泉ツーリング」と「能登半島カニ喰いツアー」だった。しかし私は3連休の翌週、慰安旅行で龍神温泉に行くことになっていたので、こちら方面の温泉は乗り気になれなかった。それに温泉ならばもうちょっと寒くなった方がよさそうだ。カニも同様で、まだ時期が早い。第一、解禁されていない。何も冷凍物を能登半島まで食べに行くこともなかろう。
- 会社の帰りに本屋により、例によって「るるぶ情報版」をあさってみた。そして、OLに混じって「るるぶ」を探す私の目に留まった文字があった。「飛騨高山」。これだ! 秋の飛騨路。なんとなくそそるものある。それに私は岐阜県は鉄道で通過したことはあるものの、足を地面に付けたことはないのだ。さっそく「るるぶ飛騨高山」を買い込み、家に帰るとルートを見当し始めた。
- ■ ルート決定
- 大阪寄りから順番に見ていくと、まず岐阜。次に下呂温泉。そして高山。うーん、やっぱり高山が良さそう、と勝手に決め、まずアプローチを考えた。
- JR特急「ワイドビュー飛騨」が頻発しているが、これだとまず名古屋まで出ないと行けない。新幹線や近鉄特急を使えばいいのだが、乗り換えが面倒だ。もっといい列車が無いかと探していたら、見つけました!
- 急行「たかやま」。大阪発午前8時2分。ちょうどいい時間である。高山着が午後の1時6分と遅いので、この日はもう走れない。夜まで高山市内を散策することにし、高山に一泊することに決めた。
- さて、翌日2日目はどこへ行くか? ざっと地図を見る。ナニナニ…、新穂高温泉? 「るるぶ」には温泉ギャルの写真がいっぱい。これは良さそう。しかし、地図を眺めると、その後のつぶしが利かない。温泉に一泊するとして、3日目ははどうするのだ?
- 他は…、えーっと、野麦峠か。しかしこれだと長野県に抜けることになり、帰りが遠くなって大変だ。他に良いところはないのか!?
- では高山から西はどうだ? 平瀬温泉? う〜ん。北へ上がって…、おっ、白川郷! これだ! 合掌造りで有名な白川郷。高山からも1日の行程としてちょうどいい位置にある。よし、2日目の夜は白川村の荻町で一泊だ。なんと、ずんずん決まっていくではないか。
- いよいよ、最終日3日目だ。広域地図を眺めると、なんと金沢が近いじゃないですか。これだ! そういや、金沢も通過したことしかなかったな。ちょうどいいや。白川郷からは、なんかすごい細そうな道だが、金沢への道がある。狭くても自転車なら大丈夫だろう。標高1100mの峠? まあ、なんとかなるだろう。
- よし、これでコースの候補は決まった!
- ■ 宿…、もうないの?
- 翌日火曜日。須田君に行き先を飛騨路にすることを持ちかけた。須田君も異存はない。あっけなく決定する。
- コースが決まれば、心の底に引っかかっていた最大の懸案事項にとりかかることになった。言うまでもなく、宿泊である。こんないい時期の3連休の飛騨路に、わずか5日ほど前になってから宿がとれるだろうか?
- まず、「るるぶ飛騨高山」に載っている国民宿舎に須田君が電話を掛けた。当然のごとく満室。次に民宿だ。手当たり次第に掛けるが、どこも空いていない。ビジネスホテルも当たってみたが、ダメだった。
- やっぱり「るるぶ」はダメだな。そりゃそうだ。だって発行元がJTBなのだ。JTBと契約しているような宿はとっくの昔に一杯だろう。
- 次に私が持っていた民宿案内の本に載っていた民宿に掛けてみた。すると、なんと幸運にもちょうどキャンセルがあり、泊まれるという。もちろん予約を申し込み、とりあえず1日目の宿を確保することが出来た。
- その夜にはJRのみどりの窓口へ行き、行きの「たかやま」の指定券を確保した。こちらも厳しいのではないかと思ったが、喫煙席なら空いていた。帰りの「雷鳥92号」の指定は取れなかったが、金沢が始発なので、早く着いてホームに並んでいればなんとかなるだろう。
- さて、問題は白川郷だった。もう木曜日である。出発日は土曜日。もう日にちがない。須田君が「るるぶ」と自分の持っていた飛騨の観光ガイドを頼りに、民宿に電話を掛けまくる。私は横で「フレーッ! フレーッ!」と声援を送っていた。
- 須田君の努力もむなしく、白川郷は全滅のようである。仕方なくコース変更を覚悟で、宿のあてを富山県の五箇山に延ばした。しかしここにもない。だんだんやけくそになってきて、民宿案内所に泣きつくことにした。相倉の民宿紹介所に掛けると、5分後にもう一度電話をして下さい、とのこと。カップラーメンの出来上がりを待つような気分で5分待ち、再び電話を掛けた。相倉も合掌作りの集落があるところである。これは厳しいんじゃないか…。
- しかし、なんと!
- 合掌造りでなければ民宿が空いているという。あっけない結末に私と須田君はホッとしてのはもちろん、ヘナヘナになってしまった。この日は金曜日。なんと出発の前日であった。
- 宿が決まったので、その夜は安心して荷作りを行うことができた。そして宿泊地が変更になったので、コースをもう一度計りなおした。白川郷から五箇山は下り基調なので、そんなに心配していなかったが、念のためだ。
- 地図で道のりを測るのが面倒だったので、地図ソフトの「ATLAS MATE」に測らせた。あまり正確ではないが、参考にはなる。しかし…、表示された2日目の走行距離、高山〜相倉間の距離はなんと、133km!であった。
- これは寄り道なしで走っても、マウンテンバイクにはきつい距離だ。しかも、途中には標高1100mオーバーの峠が控えている。それに白川郷でも、ちょっとくらい見学の時間が欲しい。
- どうかこの距離はまちがいであってくれ。そう思いながら眠りについた。
- ★★★ 第1日目 「たかやま」で高山へ ★★★
- ■ 5時間は遠い
- いつものようにCannondale Super V Active 1000にまたがると、天王寺駅に向かった。天王寺駅の東口の横で輪行袋に詰め込み、環状線に乗った。
- 大阪駅で降り、中央通路を11番ホームに向かう。待ち合わせ場所には、まだ須田君は居なかった。列車の中で食べるおやつと飲み物が買いたいなー、と思いながら須田君を待つ。
- 暫くすると、彼が手ぶらで現れた。早く着きすぎたので先にホームに荷物を上げて待っていたという。私も輪行袋を担ぐとホームへ上がった。
- ホームには旅行客が溢れ帰っていた。このホームは「雷鳥」「スーパー雷鳥」のホームでもあるのだ。「スーパー雷鳥」の人気はものすごく、1時間近く前から来ていた須田君によると、ずっとこんなに人が待っているのだと言う。列車が入ってきても全然減らないのだそうだ。おそるべしサンダーバード。
- 売店でおのおの飲み物とおやつを買い込んだ。なにしろ高山まで5時間もかかるのだ。退屈するのは目に見えている。おやつででも暇つぶしするしかない。
- やがて急行「たかやま」が入ってきた。しかし人の列は全然動かない。要するに今ホームで待っているのは「たかやま」の客ではなく、次の「スーパー雷鳥」の客なのだ。
- 動いてくれない客の列を通してもらい、列車に乗り込んだ。私たちの席は幸運にも一番後ろだった。私の輪行袋はデッキに置き、須田君の輪行袋は座席の背もたれの後ろに入れた。
- やがて「たかやま」は大阪駅を発車した。とりあえず、おやつをボリボリやりながら時間をつぶす。しかしそれも限度があるので、「るるぶ」と観光ガイドと地図を取り出し、コースを検討することにした。
- 2日目の走行距離が133kmになるようだ、と須田君に言うと、彼はそんな長いはずはない、と主張した。私もそう思う。もう一度、今度は地図に載っている区間距離を足して計算することにした。須田君が読み上げ、私が電卓で足していく。
- 結果は95kmであった。やっぱりそんなもんだろう、133kmもある訳がない、と私たちは安心した。しかし、あながちそれが間違いでなかったことを知ったのは、翌日、相倉に着いてからであった。
- やがて、「たかやま」は東海道線から離れ、高山本線に入った。右端の窓際に座っていた須田君が呟いた。
- 「横に線路がない」
- そう。単線だったのだ。この言葉は、単線に漂う寂しさをまさに象徴しているのではないだろうか。
- 単線のわびしさもせつなさも関係なく「たかやま」は進む。紅葉した美しい渓谷をいくつも通り抜けた。空には黒い雲があり、すきっとせず、地面も結構濡れているが、その美しい景色は今回の旅の行く先に期待をもたらしていた。
- そろそろ昼時になったので、どこかで駅弁を買わないといけない。車内販売のおばさんが弁当を売りに来たが、私たちの車両に来たときは最後の1個になっていた。おばさんが言うのには、次の駅に売っているのでそこで買って欲しいという。次の駅とは下呂温泉である。
- 観光ガイドの下呂温泉のページを見ていた須田君が、線路のちかくに露天風呂があると言い出した。列車が露天風呂、いや、下呂温泉に近づくと私たちは窓に近づいてひたすら眺めた。しかし、露天風呂は発見できなかった。まあ、そんなものだろう。
- 下呂温泉駅に着くと、急いで弁当を買いに出た。着いたホームには売店はなく、陸橋を渡って向かいのホームへ行かないといけない。売店に着くと、適当な弁当を買い、自動販売機で缶のお茶を買い込むと列車へ戻った。その時、気付いたのだが、ホームの中に温泉が湧き出していた。ちょっとだけ立ち寄り手に掛けてみると、やはり暖かかった。
- 自分たちの座席に戻り、さっそく弁当を広げる。買った弁当は釜飯弁当だと思っていたのだが、なんとよくみると鍋飯弁当だった。確かに素焼きの陶器の入れ物には鍋のごとく持ち手がついている。そして炉に乗せたときに引っかかるべき耳の部分がない。あくまでもこれは釜ではなく鍋なのだ。しかし、肝心の中身はどう見ても釜飯と同じだった。
- ■ 高山到着、いざ散策へ
- 定刻より少し遅れたかも知れないが、列車は高山駅に到着した。
- 急行「たかやま」は飛騨古川駅が終着だが、客のほとんどは高山駅で降りてしまったようだ。ゴミなどもここで下ろしてしまっている。
- 他の客の後につき、ぞろぞろと陸橋を渡り、改札から外へ出た。駅前に観光案内所があり、ツアーのガイドさんらしき人が旗を持って人を呼んでいる。やはりここは観光地なのだ。
- 駅の横の駐車場の空いていたところで、私たちは自転車を組み立て始めた。いつものごとく、観光地ツーリング仕様だ。ハンドルバーにはミラーとコンパス付きのベルを付けた。ハンドルバッグには地図を入れた。スタンドも取り付ける。私は片持ちスタンド。須田君は2本足のセンタースタンドだ。
- トイレに行った須田君がついでに観光案内所で地図をもらってきた。これで準備完了。地図を眺め、行き先を決める。
- まずは駅から遠くないところにある国分寺に行くことにした。駅前を左に進む。車も人も多くて走りにくい。次の角を信号を渡って右へいくと、ほどなく国分寺に到着した。
門のまえに駐輪して入ってみると、菊の展覧会でもやっているのか大輪の立派な菊が展示してある。そしてその奥には立派な鐘楼門が迎えてくれる。鐘楼門をくぐると、正面に本堂があり、その手前横に樹齢千年を越えるというイチョウの木がそびえていた。
- とりあえずお参りし、旅の成功を祈る。本堂と三重塔をバックに写真を撮った。期待していたより小振りなお寺だったので、次に行くことにする。前に使った残りのフィルムがあと1枚だったので、その場で写して巻き上げた。そのとき、カメラの電池切れの警告がついているのに気がついた。あいにく予備の電池は持っていなかったので、どこかで買わないといけない。
- 次の目的地は高山市街の西はずれにある飛騨民俗村だった。地図で大体の位置を確認すると、また車と人の多い市街地を走り始めた。途中でコンビニがあったので寄ってカメラの電池を買い、フィルムと一緒に交換した。
- ■ 飛騨の里
- JRの線路を渡り西側に出ると国道156号を西へ行く。国道41号との交差点が横断歩道がなく、地下道をくぐらないといけない。飛騨民俗村の看板に従って左に入ると、いきなりきつい登り坂となった。しかもこれがまた長い。私はここしばらく持病の気管支喘息が再発していたので、懸念していたのだが、やはりまた息苦しくなってきた。
- 右手にみやげ物屋が並ぶようになり、やっと飛騨民俗村の駐車場にたどり着いた。駐車場に入って、まず案内板の前へやってきた。ふと後ろをみると須田君がいない。見回して探すと、遥か彼方、駐車場の入り口で私を呼んでいた。どうやらガードマンに呼び止められたらしい。私も慌てて戻り、指示された所に駐輪する。
- しかし、再発してしまった気管支喘息の発作が苦しい。きつかったとはいえ、標高差で100m程度の登り坂で息が上がってしまい、汗がダラダラと流れた。喉がヒーヒーとなり、空気が肺に入ってこない。
- どうにかこうにか民俗村の中の「飛騨の里」の入り口まで歩き、入場料700円を須田君に払ってもらい、何とか中に入った。まだ頭がもうろうとしてるので、とりあえず順路の指示通りに歩く。
- この飛騨民俗村は飛騨地方の古い民家を移築して展示している家の博物館である。右側に大きな池があり、その向こうに水車小屋や合掌造りの家が見える。まずは一番手前にある旧新井家から見学を始めた。
- ここの展示の特徴は、各家々の囲炉裏に火を灯してあることだそうだ。人が住まない家は荒れると言うが、その理由の一つが火をたかない事らしい。ここでは常に囲炉裏に火を起こし、生活感を与えると同時に家そのものを守っているのだ。
そして家によってはその囲炉裏のかたわらで、わら細工やさしこなどの実演をやっている。それはたんなるショーではなく、ここで作られた物は民芸品として売られるのであろう。おばあさんがさしこをしている姿は、演技とかリアルさとかいった言葉とは無縁な、ごく自然な生活の雰囲気がにじんでいた。

水車小屋や合掌造りの家の前で写真を撮りながら、ぶらぶらと私たちは見学してまわった。旧小林家では一位一刀彫の実演をやっていた。ここで彫っている男性は一家でこの家に住みながら、これら工芸技術の保存に勤めているという。外に出ると私たちは旧小林家の裏にまわってみた。確かに外の道路には表札がかかっていた。
- ■ 高山市郷土館、そして宿へ
- 飛騨の里を出ると、私たちは向かいのみやげ物屋に入った。ちょっとおなかが減ったので、何か食べることにした。しかしもう夕方で、あまりしっかりしたものを食べると宿の夕食がおいしくなくなる。そこでぜんざいを食べることにした。少し気温も寒くなってきていたので、ちょうどよい。
- ぜんざいを食べ終わると、再び自転車にまたがり、市街地へと戻り始めた。行きの登りも、下ればあっと言う間だ。再びJRを東へ越え、高山陣屋の前を通り、宮川を中橋で渡った。めざすは高山市郷土館である。
- しかし、なかなか見つからなかった。それらしき場所を往復し、やっと見つけた。それは目立たない看板があがった建物だった。門をくぐり駐輪場に停める。この建物は造り酒屋だった永田家の酒蔵や文庫蔵、米蔵などを使って民俗資料などを展示している市営の資料館である。
- 入場料300円。さっそく中へ入り見学を始めた。火消しの資料や酒造りの資料が展示してある。市内を流れる宮川の水が酒造りに適していたらしい。また、高山城下を築いた金森氏の資料も展示してある。
- 見学を終えて外に出てみると、もう日は暮れかかっていた。ディパックからライトを取り出すと装着する。
- 最後に市街地をぐるっと巡ってから宿に向かうことにした。まず北へ向かい、江名子川を布引橋で渡って、日下部民芸館の周りをぐるっとまわってから、宮川に沿って南下。城山公園の北縁をまわって東側へ出た。
- 今日の宿、民宿「三井」は城山公園から東南へ2キロほど行ったところにある。大体この方向、と思える道にのり、走り始めた。もう完全に日が暮れ、どこがどこだか分からない。途中何度か地図を見るが、現在地がどの辺りかもはっきりとしない。このままではラチがあかないので、道の途中にオアシスのように現れたコンビニの公衆電話から、宿に電話を掛けて聞こうとした。しかしその時、須田君が民宿「三井」を示す案内板を見つけた。今まで来た道のまだ先にあるらしい。
- 真っ暗で左右に何があるのか分からない道を登っていくと、ついに右手に民宿が現れた。須田君が玄関に入り、着いた旨を伝えると、自転車を止めるガレージへ案内してくれた。駐輪をすませると部屋へ案内してもらう。
- 私たちの部屋は2階で、部屋名は「ぴいぴい菜」だった。どうやら各部屋は山菜の名前がついているらしい。しかし私たちは「ぴいぴい菜」とはどんな植物なのか、見当もつかなかった。
- 時計を見るとまだ6時にもなっていない。それなのに真っ暗である。やはりこの時期のツーリングは行動時間が限られるようだ。とにかく無事に宿に入ったことに安心し、お風呂と食事を楽しんだ。
- 食事は1階の囲炉裏のある大部屋でお客の全員が食べることになっていた。やはりおかずは山の物がメインで、大変おいしかった。
- 部屋へ帰ってテレビのニュースを見ていると、高山市役所が新しい庁舎に移ったので、旧庁舎の机やロッカーを売りに出していると言っていた。机が100円だそうだ。おしい、行けばよかった、と思ったが、そんなものを買ってどうするというのだ?
- ちょっとうつらうつらと居眠りし、再び目を覚ましてから、翌日のコースの検討を行った。ざっと決めて、寝ようと布団に潜り込むと、なんと他の部屋が騒がしくて寝られない。どうやら若者たちのグループが騒いでいるらしい。しかしこんなによく聞こえるものだろうか。壁が薄いのか?
- 夜中も随分まわった頃、やっと静かになり、眠りにつくことが出来た。
- ★★★ 第2日目 かく、五箇山は遠かりし ★★★
- ■ 古い町並みと朝市と高山陣屋
朝食を済ませ、宿代を払い一夜のお礼を述べると、ガレージから自転車を引っぱり出した。いつものように記念に宿の前で写真を撮った。
- そしてまた高山市街へと朝の道を下り始めた。空気が冷たく寒い。途中のコンビニで昼食用の弁当を買い込んだ。
城山公園をやり過ごし、安川通り(R158)のアーケードを西へ下る。宮川に出る一つ手前の角を左へ入ると、昔ながらの家々を保存した町並みに出る。もう大勢の観光客が散策を楽しんでいた。
- 道の両脇の溝には豊富な水が流れている。とある家の前では溝からひしゃくで水を汲み、道にまいていた。この溝は防火用水と雪解けの排水を兼ねているという。

古い町並みを抜けると中橋で宮川を渡った。宮川の岸の紅葉が美しい。中橋を渡ると高山陣屋があり、その前の広場では朝市が開かれている。駐輪すると、朝市をぶらりと覗いてみた。高山陣屋の門の前まで来ると、まだ開いていないと思っていた陣屋がすでに開いていた。見学できるようなので、入ることにする。入場料は410円である。
私たちは内心、大したものではないだろうと思っていた。しかしそれは大間違いだった。高山陣屋は高山が徳川幕府の直轄領だった時の役所である。その復元を交えた現在の高山陣屋は私たちの予想より大きく見応えがあった。奥方の部屋やら、大きな炊事場、吟味所などが興味深かった。
- 結局、陣屋を出て出発したのは10時頃だった。はたして夜までに五箇山の相倉に着けるのか?
- 先を急ぐことにしよう。カメラのフィルムがなくなったので、途中のカメラ屋で買い足すと、西へ向かって国道158号を走り始めた。
- ■ 飛騨せせらぎ街道から林道を行く
- 前日、飛騨民俗村へ行く途中で分かれた分岐をやり過ごし、そのまま直進。道はゆるゆると登ったあと一旦下り、川上川沿いに出てから再び登る。
- 三日町で、道は国道158号と飛騨せせらぎ街道に別れる。当初のプランでは158号を真っ直ぐ行き、小鳥峠(1000m)を越えて松ノ木峠に至るつもりであった。しかし前日に検討した結果、飛騨せせらぎ街道から小鳥峠を飛び越えて松ノ木峠の近くに出る林道が見つかった。こちらのピークは1180mだが、R158号は小鳥峠の他にもアップダウンがあり、トータルの標高差は同じくらいである。景色は飛騨せせらぎ街道の方が川沿いで良さそうだ。
- 結局、三日町の分岐で交通量を見て判断することにした。見たところ、R158を行くよりも飛騨せせらぎ街道の方が、若干交通量が少なそうだ。それで国道からはここで一旦お別れして、飛騨せせらぎ街道を行くことにした。
- 右に川上川が流れ、川の両側にはある程度の平地がある。その向こうの山肌は黄色から橙、赤へとまだらに染まり、紅葉まっただ中の美しさを見せている。
- 南へ向いていた道が、川とともに右へ曲がって北を向いたころから谷は狭くなり、渓谷の雰囲気を帯びてきた。少しずつ傾斜がきつくなり、静かだった水の音も沢の雰囲気を漂わせてきた。

トンネルをくぐるとさらに川幅が狭くなる。両側から紅葉した木々がトンネルのように覆い被さっくるようになった頃、
林道の入り口の分岐が現れた。
- しばらく休憩の後、登り始める。割とメジャーな道なのか、結構自動車が通る。林道に入ってすぐは別荘地で、両側に別荘が並んでいる。途中で一度休憩を入れ、あとは一気に1180mのピークを登り切った。周りも高い山ばかりのせいか、1000m以上の標高があるようには感じられない峠である。相変わらず幅員のない道を下ると、再び国道158号に合流した。
- 標高が1000m近くにまで戻されたので、松ノ木峠1085mまで登り返さないといけないが,こちらは緩い傾斜で比較的楽な峠道だった。峠を抜けると六厩の集落まで一気に下り、道路沿いにあった商店で飲み物を補給した。
- ■ ああ、なぜゆえに我ら藪を漕ぐ?
- さて、ここから道なりに行けば、軽岡トンネルをくぐる事になるが、それではおもしろくないと須田君と意見が一致していた。それに長いトンネルは出来るだけ避けたい。それで旧道の新軽岡峠を越えようと考えていた。しかし、これもまたもや前夜の検討で、さらに旧道の旧軽岡峠なるものがあることが分かった。5万分の1の地形図でみると幅員3m以下の道路である。しかも峠は短いトンネルである。雰囲気からすると素堀のにおいがする。
- この興味本位のコース変更が、のちに災いとなることをそのときは(あんまり)考えもしなかった…。
- で、この旧・旧道へはこの近くから分岐を左へ入らねばならない。分岐はすぐに見つかった。しかも舗装したてでやたら綺麗な道である。両側から木が被さり、針葉樹の細い枯れ葉が雪のように舞い落ちてくる。
- しばらく行くと右にダートの分岐が現れた。どうやら旧軽岡峠への道はこれのようである。やはりダートだったのだ。しかし傾斜は大したことはない。乗車したまま、楽に登れる。
- しかし少しダートを進んだら、いきなり薮の中に道が消えていた。もう廃道となってしまっているようだ。どうしようかと周りを見回していたら、右手になんやら標識がある。「東海北陸道建設予定地」。なんとまあ、こんな山の中を通過するのか。この工事は実に大変そうだ。そしてこの辺りの静かな風景も先は長く続かないことになる。
- 時間もちょうどよくなったので、ここで昼ご飯を食べることにした。誰も通るはずもないので、道の上での食事である。おのおの弁当を取り出し、たいらげた。
- 食事を終えると、これからどうするのか考えないといけない。一応、先の薮のを調べてみることにした。すると、入り口だけがやたら薮が深く、10mも行けば走れるくらいの薮になっていることが分かった。せっかくここまで来たので、進んでみることにする。ロードバイクなら引き返すだろうが、そこがマウンテンバイカーの悲しきサガである。
- 薮と枯れ葉で足下がどうなっているのか全然分からないが、そんなに走りにくいことはない。私はフルサスバイクなので、タイヤが細くてもあまり不自由しない。でこぼこでも平気でペダリングできるのだ。対してリアリジッドの須田君はちょっときつそうで、少しずつ遅れ気味になる。
- スイッチバックが何度かあったが、順調に登り続け、もう半分くらいは登ったかな、と思ったとき、突然道が無くなっていた。薮をかき分け先を覗き込むと、なんと橋が無くなっていた。腐って落ちたのか、わざと落としたのか分からなかったが完全に無くなっており、川底までは結構高さがあった。
- なんとか突破できないこともないようだが、これがもしわざと橋を落としていたのだとすると、この先も橋がないところがあるかも知れない。今回は薮漕ぎ・担ぎ上げが目的ではない上に、今日の宿泊地までまだ60kmほどあるのだ(実際はここからまだ80kmあった)。とりあえず大人しく引き返し、新軽岡峠を行くことにする。
- 再び薮に覆われた廃道を下り、国道158号へ戻る。結局時間にして30分以上、距離にして6キロほど無駄にしたことになる。思案していた時間もあったので、今日の厳しいスケジュールを考えると、時間の方がもったいなかった。
- 国道158号は現在は軽岡トンネルを通っている。しかし私たちは旧道の新軽岡峠(1140m)を登りにかかった。こちらはまったく車が来ず、静かないい道だった。傾斜はそこそこきついが、登れないことはない。一気に登り切って向こうへ下る。
- 分岐を間違え2つあるトンネルの間に降りてしまい、引き返してもう一つのトンネルも上を越えてバイパスする。トンネルをくぐってきたR158に合流し、そのまま一気に下っていく。当分、御母衣(みぼろ)湖沿いに出るまでは下り一方の道が続くだろう。
- 本日のコースは5万分の1地形図4枚分だった。やっと1枚目を走り終わったところである。時間は昼を大きくまわっているにも関わらず、まだ3枚の地図が残っているのだ。まあ、高山を出たのが10時だったので、すでに出発で遅れていたのだが。
- ■ 回すこと、レースのごとし
- 荘川沿いにひたすら下る。適度な下りでどんどん距離が伸びる。
下りが緩やかになり、ペダリングが必要になってきたころ、左手に「飛騨荘川の里」が現れた。見学したいところであるが、残念ながら時間がない。前まで行って写真だけをとった。
- 再び下り始め、やがてR158はR156に合流した。ランドナーのグループとすれ違い、挨拶を交わす。
- 道は御母衣湖の上を岩瀬橋で渡る。橋を渡ったあとのトンネルが狭いらしく、車がつかえている。トンネルの入り口の脇にある林道に突っ込んで停車し、前照灯とテールランプを用意した。
- トンネルはどうやら2車線無いようで、バスが通ると途端に長い列が出来てしまう。これから先はトンネルが増えるのは分かっていたので、全部がこんなトンネルだと大変だと憂鬱な気分になった。
しかし、御母衣湖沿いの紅葉は美しく、一息つくには最高だ。車の列が無くなるのを待つ間に写真を撮る。
- しばらくすると車の列が途切れたので、スタートした。問題のトンネルは幅はないものの長さは短かった。トンネルを抜けると、またもやランドナーの集団とすれ違った。片手を上げて挨拶する。
- さて、ここから息をもつかぬ高速走行が始まった。平坦なところなら35km/h近くをキープ。登りでも30km/h弱である。ツーリングでは滅多に出さないフルパワーである。道はダム湖沿いをアップダウンを繰り返し、さらに右へ左へカーブする。車も多い。安定したラインを守り、ひたすらペダルを回す。マウンテンバイクにはきつい。
- 尾神橋を渡った頃からトンネルだらけになった。完全なトンネルと、右側が開いた屋根だけのものとが交互にやってくる。私は左目が白内障、右目が網膜剥離したので、屋外ではサングラスがないと全然見えない。トンネルの中は今度は外さないと見えないので、サングラスの掛け外しが忙しい。
- ダムの手前にあるパーキングエリアに入り、休憩を取った。ここはみやげ物屋や、レストラン、電力関係の展示施設もあるらしい。
- 最後のトンネルを2つくぐり、御母衣ダムの下へとS字に一気に下る。御母衣ダムは大規模なロックフィルダムである。ロックフィルダムとはコンクリートを使わずに岩を積んで造ったダムだ。関西では兵庫県の川下川ダムがロックフィルダムだが、こんなに大きくはない。
- 御母衣ダムを背にし、北へ下る。まもなく平瀬温泉だな、と思った頃、左手に大きな合掌造りの家があった。その旧遠山家住宅は重要文化財に指定されている。見ただけで他の家とは規模も趣も違う。入館料210円。入ってゆっくり見学したいところだが、これまた時間がないのだ。表から中を覗いただけで、先を急ぐ。
- 右にクワハウスの看板が見えたので、気になって道路を渡って覗きに行ってみた。川を渡ってまだ先にあるらしい。橋に上がるとそれらしい建物が見えた。計画段階から平瀬温泉は気になっていたので、ここを素通りするのは悔しく、後ろ髪が引かれる。未練タラタラに国道に戻り、先へ進んだ。左手には共同浴場もあった。
- ■ 白川郷から五箇山へ
- 温泉はダメだったが、両側の紅葉の美しさがせめてもの救いだ。軽快に下り、鳩谷ダムのダム湖沿いでは、再びアップダウン。しかし鳩谷ダムを下れば、白川郷は目の前だ。
- かつてはR156は荻町の中を通っていたが、現在は川の対岸をトンネルでバイパスしている。分岐を旧道側へ取り、荻町の集落の中へ入っていく。ぽつぽつと道の両側に合掌造りの民家が現れた。その中には予約が取れなかった民宿もあった。
いきなり車と観光客が増えてきた。私はもっと静かな山の中の里を想像していたが、完全に観光地化している。合掌造りの民家も土産を売っていたり、食堂だったりする。とりあえず、1件の家の前で写真を撮る。
- 集落の中心部にある観光案内所にとりあえず寄り、そばにある公衆トイレで用を足した。須田君が甘い物が食べたいと言い、みたらし団子を買いに行った。しかしのれんには「みだらしだんご」と書いてある。そういえば高山でもそう書いてあった。
- そのみたらし団子を一口食べて驚いた。甘くない。辛い。醤油味なのだ。あとで聞いた話だが、昔はこのあたりでは砂糖が手に入らなくて、そんなみたらし団子を作ったのだそうだ。
- 荻町のはずれからR156に戻り、白山スーパー林道の入り口をやり過ごす。右手にあった道の駅にちょっとより、トイレだけを借りると五箇山へ向けて出発した。時間は4時過ぎだが、すでに薄暗く日暮れが近い。これは宿に着く前に日が暮れるだろう。
- 1.5kmある飯島トンネルを迂回するために川沿いの細い道に入った。最初は静かな雰囲気のいい道だったが、途中から路面が悪くなりやばそうな雰囲気がしてきた。地図にはちゃんと載っている道なのだが、さっきの旧軽岡峠の経験があるので、気が気でない。
- 路面はバキバキでところどころダートに戻ってしまっている。当然ガードレールはなく、路面にタイヤを取られると大変なことになる。大きな水たまりがあって、路肩ギリギリを走ったりしないといけないので、緊張することおびただしい。
- もうこのまま道が消滅するのではないかと思えた頃、やっとR156へと戻った。そこからはまたひたすらペダルを回すことになる。とうとう4枚の地図の最後の1枚に入った。川の東側が富山県、西側が岐阜県であり、道は何度か川を渡るので二つの県の間を行ったり来たりする。
- とうとう、完全に日が暮れてしまった。右にあった上平の道の駅で、宿に遅くなる旨の電話を入れた。この調子では7時頃になるだろう。
- 道の駅を出て暫くすると、なんと車が渋滞していた。工事による片側通行の渋滞かと思ったが、そうではなさそうだ。ひたすらすり抜けで車道の左端の側溝の蓋の上を走る。すり抜けが出来ない橋の上などでは、自動車と一緒に停滞してしまう。たまに出てくるトンネルの中も、ひたすらすり抜けである。
- 途中、菅沼の合掌集落があったはずなのだが、真っ暗で全然分からなかった。左手に「くろば温泉」のオアシスのような明かりが見えたが、これまた指をくわえて通り過ぎる。
- 上梨の民宿がならぶ中を通り、上梨トンネルを抜けると、下梨の国道分岐が近い。今日の宿泊地、相倉へは国道304号で北へ上がることになる。下梨の分岐で現在位置が間違いないことを確認すると、R304を登り始めた。もう私のメーターでは走行距離は125kmを越えている。かなり体力は落ちてきている。途中の電光掲示に出ていた気温は摂氏9度であったが、今まで高速で走り続けた上に、きつい登りなので汗だくである。
- 道は照明もなく、真っ暗である。宿の位置をはっきりと把握していないこともあり、だんだん不安になってきた。はたして今日は暖かい布団で眠れるのであろうか…。
- 途中、道が折り返すところで位置の確認のために一度停車すると、もう乗る気がしなくなり、押して登る。
- やっと相倉合掌集落への分岐が現れた。上には大きな分岐の標識も出ている。しかしその分岐の先はやっぱり真っ暗だ。とにかく進むと、右手に大きな駐車場とトイレがあった。そばに集落内の案内図があったので見てみたが、民宿は載っていなかった。
- 一応、集落内の道には街灯が灯っていた。しかし、どの家が何なのかはさっぱり分からない。浴衣に丹前姿の泊まり客とおぼしき人が通ったので、民宿が近くにあるのには間違いない。
- 私たちの宿は「矢次」という屋号の合掌造りではない民宿だ。民宿案内所という看板があったので、聞いてみる。すると、2軒となりの「わら葺き」の家だと教えてくれた。
- 「やったーっ!」と喜んで2軒先に行ってみると、その家は「瓦葺き」だった。私たちは悩んでしまい、その家を眺めた。どこにも「矢次」の文字はない。もしかして、この辺りでは「2軒となり」という言葉は私たちの概念とはまったく違うことを指すのではないか、という変な理屈を須田君と2人で作りだし、さらに悩むこととなった。
- 集落内を徘徊し、一軒の合掌の民宿の窓からの中にいた年配の男性に、もう一度尋ねた。親切にもその方はわざわざ外に出て来て、教えて下さった。そして自分の家に泊まるわけでもないのに、「ごゆっくりしていって下さい」と言葉を掛けて下さった。その言葉は営業用の言葉とは感じられなかったし、この集落全体がまとまって泊まり客を受け入れているという雰囲気が感じられた。
- さて、教えて下さった家は、さっきの瓦葺きの家だった。どうやら「わら葺きの家」というのは「かわら葺きの家」の聞き違いだったのではないか、という結論に達した。このあたりだと「かや葺き」であろうし。
- 自転車のライトでよくよく照らしてみると、右の方にかすれた字で「矢次」と書かれた看板が見つかった。ほっとして、駐輪した後、私たちは玄関を開けた。真っ暗な中を走ってきたので、もう真夜中のような気がしていたが、時計を見るとまだ7時前だった。
- ■ 相倉の夜
- しかし、出てきた宿の年配の奥さんは、ちょっと不安になることを言った。なんと手違いで私たちの泊まる部屋が無いという。お風呂と食事はここで出来るが、宿泊は別の民宿になると言うのだ。まあ、別に泊まれるのであれば、それでもよいので、とりあえず上がって休ませてもらうことにする。
- この民宿の泊まり客は、囲炉裏のある大きな部屋に全員が集まっているようだった。この辺りの民宿では、自分の部屋へは寝るときにだけ帰り、普段は囲炉裏端で団らんするものらしい。確かにその方が情緒があっていい。しかし、疲れている私たちは、すぐにでも横になって転がりたかったのは事実であった。
- やがて、食事が一人一人のお膳に載って出てきた。やはり川魚と山の幸がメインである。これもまた大変おいしくいただいた。ご飯を何杯もおかわりしたのは言うまでもないであろう。
- 食事が済むとお風呂を借りる。127km、薮漕ぎ、峠越え付きの汗を洗い流し、さっぱりすると、泊まる宿へと連れていってもらう。案内して下さったのは、民宿「矢次」さんへ手伝いに来ていたお婆さんであった。ここの民宿はお互いに助け合いながらやっているらしいのが、ここでもうかがえた。
- そして私たちが一晩の宿を借りることになったのは、「矢次」から裏に入った去年まで民宿をやっていた家であった。そこは年配の奥さん一人でやっていたのだそうだが、もうきつくなってきたので、民宿をやめたのだそうである。
- 囲炉裏の部屋に通してもらい、囲炉裏端でその奥さんと暫く話を交わした。息子さんたちは、やはり村を出て外で働いているそうである。連休でお孫さん夫婦も帰ってきているそうで、一緒に囲炉裏端でテレビを見ていた。こんな田舎があるとは、私はちょっとうらやましく思った。
- 喉が乾いたので、外へちょっと飲み物を買いに出た。空を見上げると星が美しかった。もう大阪では絶対に見ることが出来ないスターライトショーであった。
- 宿へ戻ると自分たちの部屋へ入った。まだ直して間がない綺麗な部屋に布団がひかれ、あんかが入れてくれてあった。暑いのではないかと思ったが、布団に潜ってみるとちょうどよかった。
- これら、突然の予定外の客である私たちへの厚いもてなしは、身体よりも心を暖かくしてくれた。この相倉での夜はきっと一生忘れないであろう。
- ★★★ 第3日目 移りゆく風景 ★★★
- ■ 相倉の朝
- 朝、目覚めるとすでに7時半であった。寒い。慌てて起き上がり、荷物をまとめる。前日の夜も随分気温が低かったが、今朝はさらに寒い。
- 一晩の寝床のお礼を述べると、「矢次」へ向かった。朝食はこちらで頂くことになっていたのだ。私たちが昨晩の囲炉裏の部屋へ入ると、もう1組が食事をしているだけだった。朝食を終えると「矢次」のおかみさんにお礼を言い、宿を出た。
- もう9時近い時間だ。静かだった昨夜と違って、表には観光客がすでにやって来て賑やかだった。見上げると空には雲一つ無く、美しく深い青空だ。
- 明るい光の中で、相倉の集落を見渡した。そして私たちも他の観光客にまじって散策を開始した。まず、相倉民俗館に入ってみる。合掌造りの家を使った平村の村立の博物館だ。1号館、2号館の2つがある。
まず1号館で入場料200円を支払って入る。その合掌造りの民家の中には、相倉の人々が使っていた民具類が展示してあった。「アマ」と呼ばれる2階には養蚕の道具が展示してあった。
1号館を出ると、斜め向かいにある2号館へと入る。こちらは、この辺りの生業であった紙すきの道具が展示してある。綺麗に染めてある和紙も展示してあり、この美しさには目を見張るものがあった。
- 外へ出ると、またぶらぶらと散策する。合掌の柱を直接地面に立てたという古いタイプの建物もある。現在でも倉として使っているようだ。それを見ていると、昨晩「矢次」の家を教えてくれたおじさんに出会った。あいさつすると、今日もやさしい言葉で答えてくれた。
民宿案内所の合掌造りの家の前にある集落内唯一の自動販売機で、飲み物を補充した。観光バスが着いたのか、どっと観光客がやってくる。静かな夜にここに着いた私は、夜の静けさと昼間の賑やかさのギャップに変な気持ちになった。集落の入り口にある駐車場までトイレを借りに行くと、すでに観光バスが何台かとまっており、自家用車もいっぱいとまっていた。
- 時間も10時になり、私たちは出発することにした。集落を出ると一本道を下り、国道304号へ戻った。そしてその国道のきつい坂を登りはじめた。
- ■ 峠を越えて…
- 最初の計画ではR304を行くのではなく、一旦、岐阜との県境の方へ戻り、途中から分岐する細い道でブナオ峠を越え、乃利ダム経由で金沢へいくはずだった。しかし「2輪車ツーリングマップ」を見ると、通行止めで幅員拡張工事中と書いてあった。自転車は通れるのかも知れないが、ブナオ峠は990mの峠である。そこまで登った後で通れないと分かれば悲惨なことになる。従って、五箇山から真っ直ぐR304で北へ抜けることにしたのだ。こちらを通れば石川県との県境でアップダウンが繰り返すようだが、それくらいは仕方がないと考えていた。
- 登っていくと右手に「MTBクロカンコース」の標識があった。そういえばそういうものがあると聞いたことがある。しかし、今はそちらへ寄っている時間がない。一度休憩を入れたあと、残りを登り切り、梨谷トンネルへ入った。
- 梨谷トンネルは1キロもない短い目のトンネルである。しかし次の五箇山トンネルは3キロ以上もある今回遭遇する最長のトンネルだ。私はもうトンネルは慣れっこになっていたが、須田君が嫌だというので、旧304号で迂回して峠を越えることにした。
- 新R304から左に分岐し、その舗装路は登っていく。一応2車線相当の幅はある。両脇には所々駐車スペースがあるが、五箇山たいらスキー場が先にあるためらしい。
- 正直な話、前日の薮漕ぎ、峠越え、ハイスピードの127kmで体力、脚力ともダウンしていた。いつもは後ろにピッタリくっついてくる須田君も若干遅れ気味だ。
- なんとか一つ目の峠を登りきり、一気に下る。橋を渡ると右に大きくまがり、谷に真っ直ぐにつけられたアスファルトの上を走って行く。この辺りも両側の紅葉が美しい。ときどき、家族連れの車が止まっていて、紅葉と山の空気を楽しんでいる。
- 道は徐々に登りに変わり、幅員が狭くなってくる。とうとう1車線、車同士だとすれちがいも困難な道になってしまった。
- 2つめのピークはトンネルであった。狭いトンネルを抜けると、道はT字にぶつかる。左は路面が悪く、右はまだましだ。右が私たちが進むべき旧国道である。
- 所々、右の崖からしみだした清水が路面を濡らしている。道が狭くて見通しも聞かないので、ゆっくり下っていくと、徐々に左の展望が開けてきた。
- 前からオートバイが来るの見えたので、私はブレーキをかけた。オートバイもすぐに停車したが、私は運悪くちょうど傾斜がきつい濡れた路面にさしかかった所だった。20km/hほどしか出していなかったのに、後輪が右へと滑り出し、私は慌ててハンドルを右へ切ると、斜めになった緊急制動のポーズのまま滑っていった。2mほど滑り、オートバイの手前50cmほどでギリギリ止まった。オートバイのライダーに謝ってすれ違う。
- 今回は細目のセンターリッジのタイヤを選んでいた。まえから薄々感じていたのだが、濡れた路面ではグリップ力がかなり低下するらしい。今度はさらに速度を落とし、慎重に下っていく。
- 一度、新道のトンネルが隣接し、穴越しに通っている車が見えるところがある。しかしここでは合流は出来ない。新道のトンネルはまだここから800mほど続き、その先でこの旧道と合流するのだ。
- 前方に広がる景色を見ながら少し下り、トンネルの出口で再びR304の新道に乗った。結構な傾斜の下りでスピードが出る。しばらく下ると展望所があったので、入ってちょっとだけ景色を眺めた。福光、小矢部といった市街地が目の前に広がっていた。
- ■ 夢、そして夢から覚めるとき
- ずいぶんと下ったところにある交差点で、私たちは左に入ることにした。行き先はこのままR304に乗っていればいいのだが、このまま福光の市街を通るよりももう少し郊外の雰囲気を楽しみたかったのだ。
- 両側に柿がたわわに実る農道を西へと進む。土地は全体に右へ緩く下っているので、右側にずっと展望が開けている。その広がりのある景色と空の青さが妙に心に染みた。考えれば高山からついさっきまで、ずっと山あいの世界にいたのである。これほどの空間を感じるのは久しぶりなのだ。
- このままここにいたい、ずっとここを走っていたいという欲望が湧いてきた。おとついの高山、昨日の薮漕ぎ、白川郷、昨晩と今朝の相倉。思い返せば、城下町から山の中、観光地、牧歌的な集落と次々と異なる世界を駆け抜けてきたのだ。今日も含めてわずか3日間のことなのに、全てがまるで夢のようだった。
- 途中でちょっと足を止めて、地図で道を確認した。本当は地図を見るのを口実に足を止めたかったのだ。須田君も同じ気持ちだったのかも知れない。須田君は今朝から大阪に帰りたくないような口振りだった。もう一泊してもいいようなことを言っていたのだった。正直なところ、私もそうしたかった。疲労もあるが、むしろまだ夢の中にいたい。そんな気持ちだったのだ。
- しかし、翌日からは出勤しなければならない。市街地という現実の世界。このツーリングでは、それは金沢になるであろうが、そこにたどり着いたとき全てが終わるに違いないと感じていた。
- ■ 金沢に至る道
- 私たちは再び出発した。川を渡ると右に折れ、福光の市街へと向かう。両脇のうっそうとした木々に覆われた家々は、昔の面影を残していた。しかし進むに連れて普通の民家が多くなり、やがて国道304号に戻った。
- しかしそこはもう市街地のはずれ近くであり、すぐにまた郊外の景色に戻った。道の駅があったので、そこのレストランに入って昼食をとった。
- R304はここからアップダウンを繰り返し、金沢へと向かう。それぞれの標高差はそんなに大きくはないが、何度も繰り返すので思ったより疲れる。集落の中の古い道のような所もあれば、拡張されたばかりの新しい舗装、トンネル、工事中でダートになってしまっている所もある。
- やがて右側に北陸自動車道が見えてきた。最後の下りを終えると、道は平坦になった。左にあったコンビニの前で地図を確認するために一旦止まった。昨日は温泉を眺めただけで入れなかったので、今日はどこか一つに入りたいと思っていた。それでどこか入れそうな所を探していたのだ。
- 道の近くには深谷温泉と森本温泉の二つが目に留まった。実は福光からここまでの間にも幾つかあったのだが、温泉旅館のようで泊まり客以外は入れないような雰囲気だったので、寄らずに来たのだった。
- 深谷温泉は宿の案内の看板がいっぱい出ていた。しかし、宿しかなさそうである。それでもう一つの森本温泉を探した。
- しかしなかなか見つからない。しばらく探し回ったあげく見つけたのは、ガラスが割れた、営業しているのかしていないのか分からないような、旅館風の建物だった。あまりの雰囲気に私たちは、そそくさとそこを立ち去った。
- 仕方がないので、金沢駅の北側にあるという温泉健康ランド「ルネス金沢」に行くことにした。温泉を楽しむ、というのとは幾分趣が変わってしまうが、このさい仕方がない。
- ■ 兼六園にて思うこと
- さて、R304は終わり、R159を南へ向かう。交通量が多く、歩道は悪い。走りにくくて仕方がない。もう完全に金沢市街へと入ってしまった。
- 時間は午後の1時半。予定の列車は5時45分なので、時間は余裕がある。それで金沢へ来たのだから兼六園に寄ることを私が希望したのだ。
- 2時には兼六園についた。紺屋坂の下に駐輪して中へ入る。300円である。ゴールデンウィークに岡山後楽園に行っていたので、日本の名園めぐりの2つめをクリアーだ。
- 兼六園は大勢の観光客でごった返していた。売店の一つで私たちのツーリングのお約束になっているソフトクリームを食べた。
食べ終わると順路に従って庭園の中を巡る。まず外周に沿ってぐるっとまわってから、後で中の方をまわってみた。しかし、どうも私には今一つだった。確かに綺麗な庭園ではあるが、何かパッとせず退屈なのだ。紅葉にもまだ早かった。
- 私の心の中には、まだこの3日間で通ってきた美しい風景が残っていた。高山の宮川沿いのもみじ。飛騨せせらぎ街道の紅葉した山々。赤橙に染まった山をバックにした相倉の合掌集落。それらはそこに住む人々のいとなみと自然が融合して築かれたものだ。作るべくして作られたわけではない、あるべくして存在するものの美しさがあった。そのインパクトの前には日本三大名園といえども極めて小さな存在でしかないのだ。
入って1時間も経たぬ間に私たちは外へ出た。石川門をバックに記念の写真だけを撮ると、再び自転車にまたがり、最後の疲れをいやすために出発した。
- ■ 最後の楽しみ
- 市街地を走り、私たちは金沢駅の北側の「ルネス金沢」に向かった。JR北陸本線を北側へ渡り、金沢駅の北口をやりすごす。北鉄浅野川線を東へ渡ると「ルネス金沢」の広告案内板があった。
- しかし、なかなか見つからない。道路の右側には大きなアミューズメントセンターらしきものが見えた。さらにしばらく行くと、道がT字で終わってしまった。しかしそのおかげで現在位置が分かり、行きすぎていることも分かった。
- 注意して戻っていくと、さっきのアミューズメントセンターらしきものの隣に発見した。駐輪場に入れると、入り口まで行ってみる。
- 「ルネス金沢」は温泉を利用した温水プールと浴場がある健康ランドのようなものである。看板にはアクアリゾートなどと書いてある。高山にも同じ様な「クアアルプ」があった。もちろん私たちはお風呂が目当てだった。時間があればプールも楽しみたかったが、列車の時刻を考えるとここにいられる時間は1時間以内であった。
- 料金を調べると1日3000円、2時間以内2000円であった。私たちは2時間でも余るくらいなのだが仕方がない。なんと2000円のお風呂である。
- 券を買って入り、受け付けの女の人からロッカーのカギを受け取る。そして奥へ進むと右手のガラス越しにプールが見えた。左にロッカールームがあり、お風呂はその奥のようだ。
- ロッカールームの入り口でバスローブを受け取る。さすがに2000円だけあっていろいろと用意されている。
- しかし、ロッカーは小さかった。私たちの所帯道具一式を積めたディパックはとても入らない。一旦ディパックから荷物を全部取り出し、ディパックをつぶしてロッカーに押し込み、さらに荷物を押し込んだ。
- さすがに風呂場は立派で大きかった。真ん中に大きな浴槽があり、その中にジェットバスや泡風呂がある。まずここから入ってみた。
- 3日間の疲れをここで取ろうと、思いっきりくつろぐ。ここの温泉は地下1300mから汲み上げた塩化物泉だそうで、たしかにお湯はちょっと塩辛い。
- 見回すと、入り口の左横に洗い場があり、その左手にはサウナ、さらに左には紫外線浴が出来る階上へ上がる階段、そしてサンルームがあった。その向こうのベランダにも何かお風呂があるようだ。サンルームの左には桧風呂の部屋があり、そしてシャワーがあった。
- 私はサウナは苦手なので、その他のお風呂を順番に試した。洗い場で身体と頭を洗って髭を剃る。ナイロン手ぬぐいから使い捨てシェーバー、シェービングクリームまで用意されている。使い捨てシェーバーは丁寧にも1枚刃と2枚刃があった。
- 身体を洗ったあと、ベランダのお風呂にも行ってみた。なんやらお湯が洗濯機のように回転している。それはいいのだが、裏の建物から丸見えの上に、気温が低いので湯船から上がると寒かった。
- ■ エピローグ・「雷鳥」に乗って
- 「ルネス金沢」を出ると、ひたすら金沢駅へと急いだ。
- 駅の前でおのおの自転車を輪行袋に詰め込む。コンコースにあった売店で夕食の駅弁を買い込んだ。私はカニ寿司、須田君はカニ飯である。
- 切符と特急券はすでに買っていたので、手回り品切符だけを買うと、改札を通った。私たちの乗る「雷鳥92号」の発車時刻まで、あと30分ほどだ。
- 肩に担いだ輪行袋が重い。須田君もつらそうである。ホームで「雷鳥」の自由席乗車位置を探すのにちょっと手間取ったが、私たちの前にはまだ数人しか並んでいなかった。
- お弁当用のお茶や飲み物を買いに行っている間に、乗車待ちの列はどんどん長くなった。私たちもあと10分遅れていたら列の後ろの方になるところだった。この金沢駅が「雷鳥92号」の始発駅なので、早めに並べば座れるだろうという計算はなんとか達成された。
- やがて列車が入ってきた。まずディパックだけを持って乗り込み、席を確保したあと、他の乗客が乗り込むのを待ってから輪行袋を持ち込んだ。席に落ちつくと連絡待ちで発車が少し遅れるという。私たちは先に弁当を食べはじめた。
- 食事が済んだ後は、コーヒーを飲んだりアイスクリームを食べたりしながら雑談した。
- 敦賀を過ぎた頃、少し眠気を感じたので一眠りすることにした。私が眠っている間に、列車は私たちを見慣れた世界に送り返すだろう。次に目を開けたときは、そこはもう日常の世界なのだ。
- 列車の外では、もう夜の闇が包み込んでいた。